東京都制の改正と自治権の拡充

33 ~ 36 / 403ページ
昭和二〇年(一九四五)八月一四日のポツダム宣言受諾後、麹町区にある第一生命館に本拠を構えたGHQは、日本に速やかに民主的な体制を確立させることを基本として、占領政策を開始した。そのため、あらゆる行動指針の決定を中央軍政当局が行い、その監督の下に国や地方の行政機構が執行するという集権的なやり方は採らず、全般的な大綱決定や進捗管理以外は相当程度の自治を認めるという分権的なスタイルが採られた。
このことは首都制度である東京都制をどのように改革していくかという点にも大きく影響を与えた。戦時中の昭和一八年七月から施行された東京都制における東京都と区の関係は、東京市時代と同様に中央集権的な色彩が濃いものであった。すなわち、執行機関である区長の職には都長官の任命する官吏(書記官)が就き、議決機関である区会は議員定数が削減され、議決権が及ぶ範囲も制限列挙方式に切り替えられるなどの措置が講じられていた。区が処理できる事務についても、固有事務は財産および営造物に関する事務に限定され、課税権や起債権、自治立法権などは認められなかった。ただ、都行政と区行政の一体性確保という点から、委任事務については東京都条例によって定めることが可能になっていた。それが戦後になると、民主化を要求するGHQの意向や、それを支持する大衆一般の機運を受けて、区の自治権の大幅な拡充という方向が検討されることとなった。
連合国側の最高意思決定機関である極東委員会が「日本の新憲法についての基本原則」を決定した昭和二一年七月二日、第九〇回帝国議会において「市制の一部を改正する法律」「町村制の一部を改正する法律」「府県制の一部を改正する法律」「東京都制の一部を改正する法律」の四法案が一括上程された。これらの法案は審議過程において大きな修正が加えられながらも貴族院と衆議院を通過し、九月二七日に成立した。この法改正では、主に地方自治体全体に以下のような変化をもたらした。
①公民権制度・名誉職制度の廃止
②性別を問わない選挙権(二〇歳以上)・被選挙権(二五歳以上)の付与
③解職請求・事務監査請求など住民による直接請求制度の充実
④都長官・府県知事・市町村長などの公選制の導入
⑤選挙管理委員会の設置による選挙事務の中立性確保
⑥地方議会議員の人口段階別定数の増加
⑦条例による地方議会の議決権の範囲拡大、予算の増額修正権の付与
また、東京都制に関しては、以下のような形で修正が加えられた。
①区会への条例制定権の付与
②廃置分合・境界変更やそれに伴う財産処分について区会議決の必須化
③区吏員の設置や規則制定権の付与
④市に準じた形での区議員定数の増加
⑤都条例による区税や分担金の賦課徴収権・起債権などの自治財政権の強化
ここで三五区の再編に関係の深い②の廃置分合・境界変更について詳しく見ておこう。改正前の東京都制では、区の廃置分合・境界変更に関しては「区ノ廃置分合又ハ境界変更ヲ為サントスルトキハ都長官ハ関係アル区市町村会ノ意見ヲ徴シ内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム」(第一四一条)と規定されていた。この「関係アル区市町村会ノ意見ヲ徴シ」という文言が改正後は「関係アル区市町村会ノ意見ノ議決ヲ経」となり、決定権は依然として内務大臣に留保されていたものの、区会の議決が法定事項となった。
これらの地方自治体への大幅な権限委譲は「第一次地方制度改革」と呼ばれ、その内容も新憲法体制の下で昭和二二年四月一七日に制定された地方自治法にほぼそのまま踏襲されることとなる。戦前の東京都の区は実質的にほとんど自治的要素のない行政区と大差なかったと見る向きもあったが、この改革を端緒として自治団体としての体裁が整いはじめ、応分の働きを期待されることとなった。ただし、この「第一次地方制度改革」の時点では、区の位置付けはまだ東京都の内部団体であり、その所掌事務についても法定されずに都条例に委ねられたままであった。それだけに、市並みの位置付けと裁量性の高い行財政権限の獲得という長年の悲願を実の多いものにするためにも、区の規模をどのように設定するかという問題は、新憲法・地方自治法の施行までの約半年という短期間で必ず結論を出さなければならない喫緊の課題として浮上することになっていく。  (新垣二郎)