錯綜する再編案

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東京都庁内においては、筆頭局である民生局が三五区の具体的な再編構想を所管・主導したと見られる。民生局では、区の再編に関して次のような六項目の基準を示し、具体案として一二区案、一四区案、二五区案(A)などを作成していた。
①原則として人口は十万以上二十万未満とすること。
②面積は一概には言えないが十平方粁以(キロメートル)下の如き狭小なものを成るべく避けること。
③区内の担税力、其の外、区の自治活動に必要な最小限度のものは維持出来る様考慮する。
④共同生活圏を対象として密接な関係ある区域を一つに包含するよう按配する。
⑤従来の区や町村の区域は原則的に尊重する。而し前号の関係、其の外外交運輸等に著しく不適当のものがあるときは之を修正する。
⑥都市計画として決定した道路網、緑地帯の計画は区域に於ても充分採り容れる。
これら三案の他にも、後述する東京都区域整理委員会の第二回会合が開かれた昭和二一年(一九四六)一〇月三日に事務局から参考案として公表された二二区案や、その直前である同年九月二七日に東京都渉外部長名でGHQ東京軍政部宛に出された報告書に添付されていた予備案としての二〇区案、東京都長官官房文書課の方で検討されていたと見られる二一区案、区域整理委員会の議論において区会サイドが検討した二五区案(B)、東京市政調査会が東京都からの依頼を受けて「全研究員を総動員」して(東京市政調査会 一九六二)実施し、同年八月一七日に提出した「東京都の区の再編成に関する調査報告書」で提案された二五区案(C)などがあった。三五区の再編構想はまさに百家争鳴の状況にあったといえよう。
図1-2-1は、これらの再編案の枠組みを整理したものである。これを見る限り、三五区の再編にあたって各区が置かれていた状況は概ね三つのグループに分類できる。第一のグループは、再編構想にまったく無関係であったり、ほとんどの場合において単独維持が想定されていたりした区である。具体的には、江戸川区、板橋区、足立区、目黒区、世田谷区、豊島区、葛飾区、中野区、杉並区などの新二〇区が該当する(板橋区はむしろ分割の対象となり、実際にも練馬区が独立した)。第二のグループは、再編構想には乗ってくるものの、概ねどの構想でも枠組みがほぼ同一だった区である。これには、品川区、荏原区、神田区、麹町区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、浅草区、下谷区、深川区、城東区などが該当する。第三のグループは、単独維持か統合かが構想によって異なっていたり、複数の枠組みが立てられていたりした区である。京橋区、渋谷区、大森区、蒲田区、王子区、淀橋区、芝区、麻布区、赤坂区、本所区、向島区、滝野川区、荒川区、日本橋区などが該当する。
どの構想でも三五区の中の統合枠組み数は九~一一程度であり、東京市政調査会案が異彩を放ってはいるものの、比較的に似通った枠組みで統合を構想していたことがわかる。そして、港区を構成する芝区、麻布区、赤坂区の各区がいずれも構想ごとで枠組みが大きく異なっていたことに鑑みれば、統合案を決定するプロセスで争いが起きやすい素地があったと考えるのが妥当だろう。これは、後の「昭和の大合併」や「平成の大合併」などでも見られるような、合併枠組みと合併条件をめぐる選択肢の多さゆえに実際の交渉が難航するという構図と基本的に同一である。

図1-2-1 35区の再編案枠組み一覧