区域整理委員会の構成

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このように複数の構想が錯綜するなか、東京都はまず区域整理委員会の設置に先立って事務局体制を整えるべく、東京都次長、民生局長、民生局総務課長・人事課長・財務課長・振興課長などの民生局各課を母体とし、長官官房文書課長や麹町区長を加えた改正都制施行準備協議会を昭和二一年(一九四六)七月一六日に立ち上げた。しかし、約一か月後の八月一九日付でこれを廃止し、同じく東京都次長をトップとしつつも教育局長、建設局長、長官官房渉外部長などの民生局外までウィングを広げながら麹町区長や品川区長なども参与として組み入れた東京都臨時都制対策部を八月一五日に設置し直した。これ以降、この臨時都制対策部が区域整理委員会の事務局機能を事実上担うこととなる。構成メンバーを格上げして全庁的な合意の下で再編を進めていこうという意気込みがうかがえる。
なお、区域整理委員会が動き出す直前の九月二二日、毎日新聞が九月三日から五日にかけて三五区民一〇〇〇人に実施した区再編に関する世論調査の結果を報じていた。まず、統合の是非については賛成75・4%、反対8・9%、無関心15・7%となっており、世論としては圧倒的に賛成の雰囲気が強かったことがわかる。また、統合後の区の数については、一〇区程度8・7%、一五区程度14・2%、二〇区程度38・1%、二五区程度39・1%という分布になっていた。ここから、事務局が具体案を作成するにあたっては概ね二〇区から二五区の範疇をターゲットとしていくと世論の賛同を得やすいという配慮があったと見ることができよう。
さて、昭和二一年七月三〇日、東京都長官の諮問機関として区域整理委員会が設置された。委員の構成は表1-2-1のとおりである。委員会委員は計六〇人と大所帯であったが、都議会議員と区会議員が半数以上を占めている点が特徴的である。すなわち、都議会から二二人の議員、区会から一七人の議員が選出されている。当時は都議と区議を兼務する場合も多かったため、明確な傾向とまではいえないが、概ね旧一五区内でもとりわけ戦災被害が甚大であった中心部については区会議員が代表者として入り、新二〇区内でも比較的に軽度であった周辺部からは都議会議員が代表者として入っている向きが強い。そして後述するように、委員会において発言が目立つのは、麹町区や城東区などのように、戦災被害が深刻であったため単独維持がほぼ不可能であり、ゆえに積極的に区統合の機運を引っ張っていく必要のある区の代表者であった。また、区会関係者ではどうしても旧一五区が主導権を握っており、新二〇区はまだまだ表舞台に立つ役は回ってこなかったとの評価もある(北区史編纂調査会編 一九九四)。なお、再編構想にまったく無関係であった区のうち江戸川区と葛飾区からは議員が代表者として入っていない。

表1-2-1 東京都区域整理委員会の委員一覧

都議の選出区については、東京都議会議会局法制部編『東京都議会史』第1巻(1951)参照