第一回(一〇月一一日)では、二二区案についての審議というよりは、区の統合によって区役所が設置されない区には支所などの出先機関を設置することによって住民の利便性を確保するのかどうかや、区会議員の定数が従来よりも大幅に減少することで住民の発言権が低下するのではないかといった一般論をめぐって委員から発言があり、都長官以下の事務局がそれらに対する説明が行われ散会している。
第二回(一〇月一九日)では、区会側の委員八人を代表して溝口委員(麹町区)が二二項目に及ぶ質問を都長官と事務局に行っている。内容自体は若干の重複や都制改革の具体策に関するものなどもあったが、区統合についての質問は概ね以下三点に集約できる。
第一に、時期尚早論についての見解である。前述のように九月二七日に東京都制の大幅な民主的改正が決定したばかりであり、今後三五区部には特別市制が導入されるという期待も根強かった。また、首都復興の観点からは、人口分布の適正化や増加抑制、第二都市計画の実施などの重要施策について国の方針が定まっていない中で先行的に区統合を行う必要性について疑問が呈されていた。これらの点については、今後、都制に大幅な改正が行われる見通しは薄く、また特別市制が導入されたとしても都制を維持するというのが国の方針であるとして、区は今後市と同等の自治権をもつ団体として整備されることを前提に統合を進める必要があると回答している。
第二に、再編構想の取り扱いである。これまで帝都復興計画構想を下敷きにした都建設局の一一区案や参考案としての二二区案などが都から出されているが、事務局としてはこれらのプランをどの程度整合的に扱おうとしているのか、そして小委員会で成案が得られなかった場合は二二区案を強行するつもりなのか、小委員会独自の再編案を検討してよいのかなどの質問が出された。これらの点については、先行的に出された首都復興計画構想は理想と現実の兼ね合いで実現させていくべきものであり、二二区案はそもそもこの計画案を十分考慮に入れながら基本線を歪めない形で作成したものであるものの、理想案とまではいえないため、他に妙案があれば採用する余地はあると回答している。ただし、当局としては現在のところ最も適当な案と考えているとも述べている。
第三に、区統合の具体的な手続きである。統合と同時に境界変更を行って適正化を進めていくべきか、区の名称をどう決定していくべきか、小委員会としての成案はいつ頃までにまとめる必要があるのかなどの懸案をめぐって質問が出された。これらの点については、境界変更を伴う統合を排除するわけではないが計画が混乱する恐れがあるため消極的に考えており、区名については決定段階ではないが案は作成中、答申時期については内務省が区長の選挙を一二月中旬に予定しているようなので一〇月末までに答申を出し、一一月中旬までに区会の議決を経て一一月末までに内務大臣の許可を得たいと考えている旨説明がなされている。
第三回(一〇月二六日)では、都議会側の委員八人を代表して大沢委員(向島区)から質問を行っているが、区統合案に関しては都建設局の一一区案の作成を主導した都市計画課長に二二区案についての見解を求めるに留まり、あとは将来人口の見通しや区財源と税種目などについての意見を聴取する程度であった。
第四回(一〇月三一日)は事務局が事前に示していた小委員会案決定のリミットであり、小委員会としてもそれぞれ具体案を持ち寄る予定であったが成案を得ることができず、意見交換で散会となった。
第五回(一一月八日)は区会側の委員から具体案が提出される予定になっていたが、安藤委員(下谷区)からは河川沿いに境界変更を伴う一五区案、新美委員(城東区)からは境界変更を伴わない一五区案の提案があり、これらの案について溝口委員(麹町区)は将来区が市制移行するならば妥当だが都制が維持される場合は不適当であり、他方で二五区案も検討されている状況でまだ議論が収拾していないとの説明が付され、結論は持ち越しとなる。この区会側で検討されていた一五区案の枠組み詳細については記録が残っていないため不明である。ただ、発言者の出身区や予備案としての二〇区案の存在などに鑑みれば、この動きは戦災被害が大きかった「下町」地域の枠組みがネックになっていた可能性がある。
第六回(一一月一八日)は、実質的な最終審議の場となった。ここでは、溝口委員(麹町区)から小委員会内において区会側の自主的立案を待つ姿勢を示してくれていたことに謝意を示すとともに、最終的には自主的立案をめぐって内部合意が取れなかったことが説明された。その概要を示せば、次のようになる。
・ 区会サイドでは、小委員会の場以外に三五区会議長会、二二区案で統合対象とされた二四区の区会議長会、八人の小委員会委員などの会合で再三審議を重ねてきた。しかし、当初から①東京都制のまま二〇〜二五、二六区に統合して区を超える事務については事務組合を設置する案、②三五区全体で特別市に移行することを見据えて一一〜一五、一六区程度に統合する案、③区の廃止と市制移行を見据えて六〜一二、一三区程度に統合する案の三方向で意見が分かれていた。
・ 具体案の作成に際して、参考案である二二区案によらない一五区案と二五区案が模索されたが、一五区案は内部で有力だったものの、現行都制のままでこの二二区案以上の統合を進めることは困難と判断された。二五区案は三区統合となる二ブロック(現在の新宿区と港区)で住民の発言権が著しく低下することを避ける意図で作成したが、地方制度調査会の答申では人口一〇〜三〇万人、面積一〇平方粁という基準が示されたので、二二区案の方が適切であるとの意見が絶対多数になった。
この発言にある地方制度調査会とは、一〇月五日に設置された内務大臣の諮問機関であり、一一月二七日に答申を出している。小委員会当日はまだ答申が提出される前であったため、おそらく地方制度調査会委員でもあった中島委員から情報提供があったと推測される。
この溝口委員(麹町区)からの経過説明の後、二二区案に反対している小野委員・安藤委員(ともに下谷区)、渡辺委員(日本橋区)、磯野委員(赤坂区)などから個別の事情説明があったが、さしあたっては二二区案を基本線として一刻も早く本委員会を開催して結論を出すという方向となった。
第七回(一一月二七日)では、冒頭に内田座長から第六回小委員会後に江東四区(下谷区、本所区、深川区、浅草区)の有志から境界変更についての陳情があり、会合を行ったことや、二二区案に反対している藤野委員(麻布区)、安藤委員(下谷区)、渡辺委員(日本橋区)、磯野委員(赤坂区)から改めて事情説明があった後、二二区案を小委員会の結論として委員会に報告して委員会総会で決定してはどうかという中島委員の提案が通った形となった。
第八回(一二月九日)は第三回委員会の開催前に行われ、小委員会決定報告案が披露、全員異議なく承認という形になり終了した。同日午後、第三回委員会が開催され、以下のような答申案がまとめられた(『港区史』下、一九六〇)。
区の整理統合についての答申
一 東京都の区は都の可及的迅速なる戦災復興と区の自治権拡張を企図し此の際これを適当に整理統合すること。
二 統合する区の具体的内容は東京都当局が委員会において提示した参考案の二十二区案を適当と認める。
附帯希望条項
一 区の境界に不適当のものがあるので、著しき凹凸は区の統合の実施に引続き適当に是正するため之が委員会を組織すること。
二 区の自治権を拡充し区が真に自治団体としての名実を備え得るよう、法制的にも行政的にも最善の努力を払われたい。
この第三回委員会では委員から各区の意向について様々な意見が出されたが、それは次節で確認していくこととする。なお、この回に名誉職待遇者として参加していた元衆議院議員で弁護士の作間耕逸委員と内田座長のやりとりは、小委員会全体の雰囲気をよく表していると考えられるので紹介しておこう。
作間「小委員会の報告についてこの決定は全員一致と了承して差支えないか。少数の反対の区もあるというが、その区はどこか。反対理由は発表できないか。小委員会諸君は公式にせよ、非公式にせよ関係区の代表権を有していられるのではあるまいと思うが、最後の決定の際その点留保して賛成したのではないか」
内田「自分の知り得る範囲で答弁を許されたい。小委員中には留保して賛成したものはないと思う」
作間「念を押すようだが委員中には二十二区案に反対なる者なしと諒承して差支えないか。少数の努力中の区に対する反対理由は示されないか」
内田「表面に表れていなかつたと諒承して欲しい」 (新垣二郎)
表1-2-2 東京都区域整理委員会の選出区別構成
網掛けになっているのが小委員会委員