では最後に、港区を構成する芝区・麻布区・赤坂区の動きをみていくこととする。
既に指摘してきたように、この芝区・麻布区・赤坂区の三区については、三五区の中で最も枠組み案が輻輳(ふくそう)した地域であった。すなわち、芝区については単独維持(二五区案B、二五区案C)から、麻布区との二区統合(一四区案、二一区案、二五区案A)、麻布区・赤坂区との三区統合(二〇区案、二二区案)、麻布区・品川区・荏原区との四区統合(一四区案)、京橋区・日本橋区・神田区・麹町区との五区統合(一二区案)の五パターンがあり、麻布区についてはこれらに加えて赤坂区との二区統合(二五区案B、二五区案C)と赤坂区・渋谷区との三区統合(一二区案)の計五パターン、赤坂区もこれらに渋谷区との二区統合(二五区案A)と神田区・麹町区との三区統合(二一区案)を加えた計五パターンがあった。複数の枠組み案が構想されるということは、各案にそれなりの背景的根拠が存在するのであり、それは当事者の思惑が相違しているという意味で区統合の難しさを端的に象徴していた。事実、芝区・麻布区・赤坂区は昭和二二年(一九四七)一月八日の段階で揃って三区統合案を唯一「否決」しており、他の区史や文献などでも二二区統合案への抵抗事例としてしばしば名前が挙がっているほどである。
この三区同時の「否決」の背景には、それぞれ異なる思惑があったようである。まず、芝区会は三区統合案について四対一八の反対多数で否決し、次のような意見書を採択していた。
意見書
芝区は独立区とし凹凸是正により他区所属地域を芝区に編入の上此際速かに区域の整備を行うを妥当なりと認む
理由
東京都長官は東京都芝区麻布区赤坂区を廃止して新区を結成すべしとの案を本区会に発案せられたるも我芝区は人口面積負担力に於て当局の示せる一区の標準に達し居り一面三区統合は必ずしも三区区民の幸福を増進するものとは思惟せられず依て右発案の範囲内に於て勘考する時芝区は独立せしめ麻布・赤坂両区を以て一区とすることが最も妥当なりと信ず
故に此際速かに隣接区との凹凸を是正調整し復興に伴う地区の整備を断行せられん事を望む
確かに、芝区は単独で面積が8・61㎢と区域整理委員会の方針に示されていた10㎢以上という基本線に近く、昭和二二年二月一日時点での人口も約一〇万人を擁しており、旧一五区の中で最も人口が多かった。麻布区・赤坂区と比べてほぼ倍以上の面積と人口があるため、芝区は単独維持、麻布区と赤坂区は面積も人口もほぼ同規模であるから統合がふさわしいと区会は考えていたようである。
一方、麻布区会では同日五対一九で三区統合案を否決し、次のような決議を採択している。
決議
区の統合に関しては、当区会は昨年八月八日全員協議会の議決を以て、関係当局に時期尚早との意見を提出してあるが、已に都に於て統合の方針が決定されたのであるから之に対し全面的に反対をするものではない。
然し、芝、麻布、赤坂の三区は民情の相違著しく地縁団体としての融合に困難を予想せられるから敢てこれを統合すれば帝都の復興に支障を来すこと明である。
次に又三区の統合は他区の場合に比して著しく議員定数を減ずることとなり権衡を失するのみならずこの事はそれ丈区民の区政に対する発言権を封じ輿論政治を抹殺する結果となり正に民主主義に逆行する措置と云わざるを得ない。
仍て当区としては比較的民情を同じくする赤坂区との二区統合は実現の可能性あるものと考える。
麻布区は統合自体に否定的ではないものの、三区統合案は実質的に芝区へ編入される形になる事を危惧していたようである。逆に、同等の人口と面積を有する赤坂区との二区統合であれば対等性が確保できるという点で好感触であり、この方向で検討すべきことを表明している。
赤坂区会では三区統合案について全会一致での否決であったが、同時に次のような決議を採択している。
決議
東京都赤坂区、麻布区、芝区三区を統合して新区を結成すべしとの都長官の諮問に対し本区会は反対の意見を表するものなり。
理由、右は都市計画の理想を遠ざかること甚しく、関係各区の実情を無視し将来に禍根を残すこと火を見るよりも明かなればなり。
この決議を見る限りでは、三区統合案に建設局一一区案にある発想が活かされてないため反対していたようにも思える。ただし、当日の区会における議論では、やはり麻布区と同じく、人口・面積ともに倍以上ある芝区との統合により実質的に編入される形になることが懸念されていたようである。また、その意味では麻布区と同様、非公式ながらも二区統合については可能性ありとしていた。
このように、三区とも統合案を否決したことを受けて、都長官は都制施行令第八一条第一項に基づき、次のような再議の指示文書を送付した。
昭和二十二年一月八日、貴区会の否決した区の区域の整理統合に関する件は左記理由により明らかに公益を害すると認められるから、都制施行令第八十一条第一項に基づき再議に附せられたい。
記
本件は区域整理委員会の慎重審議を経て定められた答申にもとづいて、二十二区制を採択実施することになったものであり、且つ関係各区は現に二十二区制の実施を前提としてそれぞれ可決しつつある現況であるから、これが否決は公益上必要な整備統合計画を否定し、実施を不可能ならしめるばかりでなく、関係各区民に重大な影響を及ぼすことは明らかである。
これを受けて、まず反応を示したのは芝区であった。当時、二二区統合案をめぐっては、旧一五区内で単独維持を主張する区は一つもなく、新二〇区内でも人口も面積も大きい品川区や大森区、王子区などが統合対象となり既に統合案を議決していた。この状況において、芝区がこの単独維持路線に固執し続けるのは相当困難であっただろう。そして、他の統合案と同様、芝区は枠組み内で最も人口と面積を有していた「有力区」であったため、次善の策としての三区統合案にそこまでの懸念を持ち続ける理由もなかった。また、隣接する京橋区や品川区は既に他の枠組みで統合を決定している以上、芝区としては麻布区方面と統合する以外の選択肢はなかったともいえる。実際に、一月二七日、芝区会は一五人の議員を委員とする審査委員会を設置し、約三週間にわたる同委員会の審議を経た二月一五日の区会において、一切の統合条件を付けずに三区統合案を全会一致で議決した。
この芝区の議決を受けて、麻布区と赤坂区は二月一七日にようやく三区統合案を再議するための区会を開催した。ここで、麻布区は議員一五人、赤坂区は議員全員で審査委員会を設置し、審議を重ねていくこととなった。この間二月一七日に小石川区と本郷区が統合案を議決し、日本橋区や浅草区も前述のように都長官からの強い要請に遭って渋々ながら統合案を受け容れていくなかで、最も成立が困難視されていたこの三区統合案をめぐっては「格上」の説得者が調整に乗り出してくることとなった。すなわち、二月二五日、芝区・麻布区・赤坂区の区長および区会議長は、都長官の設定により植原悦二郎内務大臣との会談が組まれたのであった。
植原内務大臣はこの席において、都政改革と区域再編成の意義を説くとともに、当面は区長室と区役所本庁舎を麻布区役所とすることを条件に三区統合案を受諾するよう強く要請したとされる(『新修港区史』一九七九)。麻布区と赤坂区はこの大臣からの斡旋案を跳ね除けることはできず、翌日二月二六日にそれぞれの区会で三区統合案の議決に至る。ただ、両区とも議決にあたっては統合条件を附帯していた点が芝区と異なる。
麻布区の附帯条件は次のとおりであった。
①区長室は三区の中央に位する麻布区に置く。
②新区名は三区協議に基いて決定する。
③三支所の連絡の便に供するため連絡バス(公衆用)を開設し青山浜松町間の都電車を復活する。
④麻布区教育会が計画している教育会館建設事業の遂行について都長官は十分な協力援助を与えること。
⑤東京都区域整理委員会答申案の附帯条項は即時実行に着手すること。
このうち五番目にある附帯条項とは、不適当な凹凸の境界変更の実施と区の自治権の拡充である。また、赤坂区の附帯決議は次の四点であった。
①自治権の拡充に伴って、その行政が末端まで手が延びるような組織にしてもらいたい。
②区域の境界に著しく不自然なものがあるが、速かに是正して新区の運営に遺憾なきを期してもらいたい。
③六三三制の教育施設について我が赤坂区は戦災のために、その被害が甚大であったので、今後児童の通学、修学上遺憾のない施設としてもらいたい。
④交通の便利ということで、青山一丁目から浜松町一丁目に至る電車の運転を急速に実施してほしい。
このようにして、両区とも類似した条件を都に提示しつつ、最も難航したといわれる芝区・麻布区・赤坂区の統合問題は解決されることとなった。