新区名の問題

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新一一区の名称については、基本的に統合案の可決後に検討されることとなっていたが、東京都が区名案を見繕って各区に提示するという形ではなく、地理的・歴史的な配慮と生活感情の上で親しみやすく平明であるという条件のもとで各区が検討するという形となった。昭和二二年(一九四七)二月一二日付の東京新聞では、同紙の企画として新区名投票を行ったところ応募総数約二四万票となり、既に新区名を議決していた千代田区を除いた一〇区について表1-3-3のような候補が挙がっていたことを報じていた。ただし、新区名については旧区ごとで異なる名称を支持することが多く、なかなかこの候補の中から選び出されることはなかった(実際、この中から採用されたのは中央区、新宿区、墨田区、江東区の四つである)。
具体的な動きとしては、概ね一〇日程度で各区が矢継ぎ早に新区名を決めていくこととなった。すなわち、二月二一日に城東区が江東区案を議決(深川区は二月二五日に議決)、二二日には小石川区・本郷区が文京区案を議決、二五日には日本橋区・京橋区が中央区案、本所区・向島区が墨田区案、品川区・荏原区が品川区案、滝野川区・王子区が北区案をそれぞれ議決した。二六日は芝区・麻布区・赤坂区が港区案、二八日には四谷区・牛込区・淀橋区が新宿区案を議決し、三月二日に残りの下谷区・浅草区が台東区案、大森区・蒲田区が大田区案を議決したところですべての新区名が出揃うこととなった。
芝区・麻布区・赤坂区の間で新区名を決定する過程では、関係者から旧区名以外に「愛宕区」「三緑区」「飯倉区」「三春区」「三園区」「青山区」「青葉区」「御所区」などの案が出されていた。しかし、三区間での協議では、いずれの案も地域的に偏りがあって相応しくないとの意見が出され、最終的には「城南区」と「東港区」の二案に絞られた。「城南区」はこの三区がいずれも江戸城の南に位置していること、「東港区」は貿易の中心地である東京湾に接していることが理由とされていたようである。この「東港区」案は当初、東京湾に接していない麻布区・赤坂区から反対の意向が示されていたが、「東港区」の場合、読み方が「東京都」と類似してしまうという点から「東」の一字を除いて「港区」とする方向で協議が整い、都長官に届出が行われた。

表1-3-3 統合区の新区名候補一覧

下線を付しているもののみ実際に採用