昭和二四年(一九四九)、港区建設祭記念事業として、区の紋章・区歌・音頭を制定することとなり、一般からの懸賞募集が行われた。紋章一七〇点、区歌五五点、音頭五九点、合計二八四点の応募が集まった。紋章の選者は、東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)教授の小場恒吉氏と広川松五郎氏、区歌と音頭の選者は、作曲家の山田耕筰氏、作詞家の大木惇夫氏、作詞・作曲家の堀内敬三氏、小説家の長谷川伸氏(審査会は病欠)がそれぞれ務めた。
区の紋章は、一等が該当者なしとなったために選者に制作が依頼され、広川松五郎氏が二等入選の高村英也氏の作品を元にして仕上げた。旧三区(芝・麻布・赤坂)が一丸となったことを表し、頭文字である「み」を力強く図案化したものである。
区歌は、一等となった柳田仲之助氏の歌詞を選者の大木惇夫氏が一部修正の上、同じく選者の山田耕筰氏が作曲した。レコーディングでは、山田耕筰氏が病気静養中の身を押して、自ら日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)の指揮をとった。後に区歌は、平成九年(一九九七)、港区政五〇周年を記念して、作曲家の山本直純氏の手により現代風に補作・編曲され、今日に至っている。
みなと音頭は、一等となった池田誠氏の歌詞に、区歌と同じく、選者の山田耕筰氏が曲を付けた。なお、この音頭は、時代とともに区民からの親しみが薄れていったことなどから、昭和四九年、新たに「東京みなと音頭」として生まれ変わった。作詞は吉川静夫氏、作曲・編曲は小沢直与志氏、振り付けは港区民謡舞踊連盟で、現在、区民まつりや盆踊り大会などで演じられているのは、こちらの「新」音頭である。 (石上泰州)