昭和二四年(一九四九)のシャウプ勧告に基づいて地方税制と財政調整制度の改革が行われ、国と市町村の間では地方財政平衡交付金制度が運用されるようになった。それに伴い、都区間の財政でも新しい財政調整の制度が同二五年にスタートした。そしてさらなる事務の配分については、昭和二四年一二月に設置された地方行政調査委員会議(神戸委員会)が検討を進めていたこともあり、都と特別区双方とも、神戸委員会の勧告に主張を反映させていこうと働きかけを行っていった。神戸委員会による昭和二六年の行政事務再編に関する第二次勧告によって、特別区制度は「現行法上、都は、市町村および区を包括する地方公共団体であるが、特別区の存する地域においては一つの大都市としての性格を併せ有していることを考慮し、特別区が原則として市と同一の権能を有するものとしている現行法の建前を廃止して、都と区の間の責任を明確に区分すべきである」という特例を勧告した。すなわち特別区は都の内部団体として位置付けるべきものとされたのである。またこの勧告は区長の公選制については憲法上の疑義があるとして勧告の中では保留された。