昭和四三年二月一日、前年当選した美濃部都知事は、都制の民主化・合理化を進めるために、長谷部忠(当時朝日新聞社顧問)を会長に九人の委員とそれに加えて一一人の調査員からなる「東京都行財政臨時調査会」(長谷部委員会)を設置した。都知事は長谷部委員会に対して、「特別区制、市町村制等行政制度改善のあり方」を調査主題とした。長谷部委員会は都知事からの調査依頼に対して計四つの助言をしたが、その中でも特別区に深く関係するものは昭和四五年五月に出された「特別区・市町村制度及び都の区域をこえる広域行政のあり方」である。
そこでは「現在の特別区の存する地域とそれ以外の市町村の存する地域とを行政施策の面で差別的に扱う理由はもはやない」として、「現行の都における特別区・市町村という区分を廃止し、特別区・市町村の段階に『小規模自治体』を設ける」という改革の方向性が示された。これに併せて都は「大規模自治体」へ移行し、小規模自治体と併せて小規模自治体と大規模自治体が「それぞれ自主的に機能を分担、処理するとともに相互に協力し、全体として大規模行政を行う」という独自の二層構造からなる自治体の構成を提唱した。そして特別区改革案の中には「特別区についての『内部的部分団体』としての性格を改め、自治団体としての自主的性格を明確にする必要がある」と述べ「区長は住民の直接選挙によって選ぶものとする」と明言した。
このように東京都側の委員会から区長公選への助言が出され、これが今後の美濃部都政における次の都区制度改革の基本的方向となっていくのである。