一部の区では議会による区長の推薦ができずに区長不在期間が半年、ないしは一年以上となる事態が生じてきた。議会が区長を推薦できない背景には地方議会による党派の多党化や人事をめぐっての同党内での対立構造の出現などもあるが、現行の制度においては区長が選べなくなってしまう状況となることで区政の停滞のみならず、都や他区、国との調整に問題をきたしてしまう状態となる、そこで公選の重要性を説く抵抗運動の側面もあった。港区においても前述のとおり、昭和四〇年一二月から翌年一月の三〇日間、さらに次の昭和四五年一月二六日から同年六月八日まで区長が不在となることが生じた。なおこの時はいずれも一時的に元職となった小田清一が都の同意を得て区長となっている。