区長準公選運動は区長公選を求める動きの中で議会の中だけでなく、一般住民からも公選を求める動きが広がっていく運動となった。この運動は、昭和四二年七月に研究者、市民運動家、労働組合員、社会党区議有志などのメンバーで発足した「練馬自治体問題研究会」がその始まりとされ、その後、他区にも広がり、港区でも運動が発生していく。この運動の中で特徴的であったのが、条例によって準公選を果たそうとする動きであった。また、この運動では単に公選を求めるだけではなく、候補者の考え方を知る機会を作り、住民の投票に基づいて区長候補者を事実上公選する「準公選条例」を設置する動きにもつながった。この準公選運動において最もはやく準公選条例を可決したのは昭和四六年制定の中野区、次に同四七年制定の品川区、その次に同四八年制定の練馬区であった。そのうち実際に準公選投票が行われたのは品川区のみであったが、制度の歪みにより区長の選任までの時間が長期化する区も出てきたこと、実際に準公選が条例だけでなく、実施に至ったことは、次の地方自治法等改正にとって重要なインパクトとなった。
そして、港区においても準公選運動は行われ、区議会で議論がなされていた。その後、港区では区議会だけでなく、住民からの区長の準公選を求める動きも発生した。昭和四九年二月二二日、「港区民が区長を選ぶ会」が発足し、準公選条例制定の直接請求運動が始まった。同会は四月二五日に直接請求権を行使して「東京都港区長候補者決定に関する条例」を区長に提出し、区長は四月三〇日に区議会臨時会を招集し、条例案を上程した。
一方で、国会においても区長公選を含む地方自治法等改正の動きは生じていた。昭和四八年度には一度国会に区長公選を含む地方自治法の改正案が上程されたものの、審議未了で廃案となり、同四九年五月に国会本会議で総員起立全会一致をもって可決された。
そのようなことで、港区議会にも提出された「東京都港区長候補者決定に関する条例」案は先行する法が改正されたものとして成立する必要がなくなったということとなり、区長公選が復活することとなった。
(箕輪允智)