配属職員制度の廃止

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配属職員制度の廃止が意味するところは、これによって区長の人事権が確立するということである。配属職員制度は区が誕生した昭和二二年の地方自治法の成立から、同四九年の地方自治法等改正で廃止が決定するまでの同五〇年三月三一日まで存続した。この配属職員制度の廃止は身分の切り替えに伴う様々な課題があった。具体的には人事交流、管理職試験、職員の確保、採用・昇任試験問題の作成機能、労使交渉、職員定数管理、職員の研修などで、またそれらに様々な付随する課題も多かった。それらを一つ一つ東京都側と特別区側で入念な検討を重ね、最終的に都区協議会および都区協議会の下に設置された職員制度協議会で決定した。例えばその一つの人事交流に関するものでは、移管後は激変緩和の措置から、当分の間、人事交流として都と区間での一対一の交流だけではない、都への引き上げ的な人事の余地が残された。ただし、保健所の医師等、採用困難職については都が採用権を留保し、異なる人事交流の制度を併用することにもなった。
港区で配属職員制度の廃止によって都職員の身分から区職員の身分に切り替わったことに対して不満を持たなかった者はいなかったとはいえないとされるが、既に港区内で一〇年や二〇年など、長期間、区内での異動を繰り返していた者も少なくなく、また、都との人事交流の制度も残されていたことから、身分の切り替えにあっては大きなトラブルは生じなかったとされる。
また、保健所関係の職員も配属職員制度の廃止と同様に四月一日付で都職員の身分から区職員への身分に切り替えがなされた。加えて保健所の移管に伴い、昭和五〇年四月一日には港区に保健衛生部が新たに設置された。