〔第二節 人口減少と財政危機〕

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第一次基本構想の下、良い環境の中で、人間らしく、幸せに生活できるまちづくりを進めてきた港区であったが、定住人口の減少に歯止めがかからなくなっていた。昭和三五年(一九六〇)以来、減少傾向が続いていた人口は、同五四年には二〇万人を割り込んだ。一度二〇万人台に回復したものの同五九年に再び二〇万人を切り、平成七年(一九九五)には港区誕生以来最少となる一四万九九九四人にまで減少した。
定住人口減少は、日用品店の閉鎖による日常生活の不便や、児童・生徒の大幅な減少による小・中学校の小規模化をもたらすだけでなく、業務立地化によって港区の歴史的な遺産や優れた環境・景観が各地で失われるなど、港区の自然的・歴史的アイデンティティを喪失させ、まさに地域社会の存続を危機に晒すような影響を与えていた。
一方、バブル崩壊の影響により、平成四年度以降は区税収入が急激に減少し、平成六年度以降は公共施設建設基金に加え、財政調整基金を取り崩さざるを得なくなった。平成八年度予算では歳出規模を大幅に抑えたが、財政調整基金の取り崩し額が歳出規模の一割を超えるという深刻な事態に陥っていた。その結果、財政調整基金の残高は急速に減少し、このままの財政運営を続けていけば、平成九年度にはほぼ底をつく状況であった。
こうした状況を背景として、この時期の港区は、「定住人口の確保」と「大胆な行財政改革」に全力で取り組んだ。本節では、まず、これらの取組の根幹となる港区基本構想(第二次)について概観し、その後、定住人口確保を目指した諸施策と、「みんなといきいき区政推進計画」をはじめとする行財政改革に関する施策についてみていくことにしたい。  (名取良太)