平成一〇年(一九九八)一〇月に地方自治法等の一部を改正する法律が成立し、同一二年四月一日から、特別区は基礎的な地方公共団体として、都が処理するものを除き、一般市町村が処理する事務を処理することとなった。昭和二七年(一九五二)以来約半世紀ぶりに、港区は基礎的な地方公共団体の地位を取り戻したのである。
さて、特別地方公共団体として新たなスタートを切った港区にとって、この時期の最重要課題は「コミュニティの再生」であった。定住人口確保と行財政改革に積極的に取り組んだ成果が如実に表れ、一九九〇年代後半から増加傾向を示していた人口は、平成二一年、ついに二〇万人台を回復した。また、行政改革と特別区税収入の増加によって、財政の弾力性を表す財政指標である経常収支比率や公債費比率は大きく改善し、基金残高も増加に転じた。
しかしながら一九八〇年代後半~九〇年代前半に生じた定住人口減少と業務立地化は、急速に進行する少子高齢化も相まって、コミュニティの活力を失わせた。そしてそれは人口増・財政好転によっても簡単に回復するものではなかった。
そこで、二〇〇〇年代に入り港区が取り組んだのが、失われた活力を取り戻し、新たなコミュニティの創造を目指すための「参画と協働によるまちづくり」である。
平成一六年六月に就任した武井雅昭区長は、その施政方針において「区民に信頼される区政運営」「区民の身近にある区政運営」「区民の誇りを創造する区政運営」という三つの基本姿勢を示し、その後の所信表明では、地域のことは地域で解決するシステムの構築が課題となっていること、そのために町会・自治会やNPOなど様々な「民」の力と「官」の力を協調・融合させる必要があること、それを実現するためには「区民参画」を制度として構築し、区と区民が対等なパートナーの関係に立つことを目指した改革が必要であることを示した。そして、象徴的改革ともいえる「区役所・支所改革」に際しては、区民と職員の「相互理解」を基盤とし、「ともに改革し、ともに担う新しい区役所」を目指すとした。
本節では、参画と協働に根ざした改革により、コミュニティの再生から地域共生社会につながる道のりを記していくことにしたい。 (名取良太)