本章では、港区の人口と社会について解説する。そのためには、港区のデータのみを収集、分析し、考察するのでは不十分である。港区を含む東京二三区には、日本各地から人々が流入し、ある一定期間もしくは生涯にわたって生活を営んでいる。また、国外から流入してくる人々も少なくない。
したがって本章はまず、日本国内の人口移動について概観することから始めることとした。東京二三区はこれまでに二回焦土と化したことがある。大正一二年(一九二三)の関東大震災と昭和二〇年(一九四五)の東京大空襲がその原因であった。今日の港区という社会について知るためには、焦土と化した社会が今日の姿を構築する過程をたどることが肝要である。このような理由から、まず日本全国の戦後の人口移動について概説することとした。
そのうえで二節において、港区の人口および人口動態について概説した。ここでも戦後から今日までの間に、港区への流入人口および港区からの流出人口が、なぜ、どのように生じたのかについて、データに基づきつつ、その概略を説明することを試みた。
このように本章の前半では、日本全国と港区の人口の動きについて概説した。後半最初の三節では港区という社会が、現在、どのような姿をしているのかを、社会地図という手法を用いて描き出すことを試みた。社会なるものは、手で触ることもできないし、したがって目視確認できるようなものではない。一見つかみ所のないように思える社会を、可視化する方法がある。それが社会地図という方法である。この節では三〇余葉の社会地図を用いて、現在の港区の姿を多角的に描くことを試みた。
三節までにおいて、港区の過去と現在について、人口移動と社会の姿を概説してきた。最終節である四節では、港区の将来の姿を予測してみたい。近年の人口の変化が今後も同じように続くと仮定するならば、将来人口の推定を行うことが可能となる。そのような推定人口を用いて、港区の将来の姿を、芝地区、麻布地区、赤坂地区、高輪地区、芝浦港南地区というそれぞれの地区ごとに描き出したデータについて解説を加えることとした。
本章の構成は概ね以上である。それでは順に、過去から現在、そして未来の港区の人口と社会について概観していこう。
まず、戦後の日本社会における人口移動の様相を、国勢調査データを用いて描き出す。国勢調査は五年を単位として実施されているために、本節では、戦後から今日までを五年を単位として区分することとした。戦後、朝鮮戦争を契機に始まった高度経済成長期において日本社会は急速な経済成長を成し遂げた。この高度経済成長期を含む昭和三〇〜四五年までを「高度経済成長期」とした。その後、オイルショックを契機として経済低成長期を迎える。そこで昭和四五〜六〇年までを「経済低成長期」とした。一九八〇年代からグローバル化が進行し、大都市の都心部においてオフィスビルの需要が喚起され、地価バブルが生じた。バブル崩壊の前後を含む昭和六〇〜平成一二年(二〇〇〇)を「バブル経済・崩壊期」とした。その後今日まで、経済成長は回復せず、リーマンショック、東日本大震災など多くの災害にも見舞われてきた。この平成一二〜二七年を「平成不況期」とした。