平成不況期(平成一二~二七年)

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最後に、平成不況期についてみる(表3-1-4)。日本の人口は平成一七年(二〇〇五)にピークを迎え、その後は緩やかに人口減少が続いている。そのため、人口増加が見られたのは関東地方の埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県、東海地方の愛知県、近畿地方の滋賀県、九州地方の福岡県と沖縄県のみであった。構成比を見る限り、三大都市圏へ人口が集中した状態に変化はないことが見て取れる。
ここまで述べてきた戦後日本の人口移動データから得られた、日本の各都市の社会空間構造の形成過程についての知見をまとめてみよう。まず、高度経済成長期を契機に、地方都市から三大都市圏への人口の流入が生じた。この頃、三大都市圏は人口増加、それ以外の地域は人口減少を経験した。三大都市圏への過度の人口集中が、地方都市の過疎化を招くことが懸念された最初の時期である。続いて経済低成長期では、地方都市でも人口増加がみられるようになったものの、三大都市圏への人口集中という傾向は変化がなかった。
バブル経済期になると、再び三大都市圏から離れた地域の人口が減少し始め、一方で三大都市圏への人口の集中はますます進んだ。そして、人口総数のピークを過ぎた平成不況期となると、人口増加は主に関東地方のみで見られ、それ以外は軒並み人口減少を経験することとなった。人口減少時代を迎えた日本社会は、三大都市圏に大量に人口が集積しているという形で、その局面を迎えることとなったのである。このような日本の人口動態を踏まえた上で、次節では港区の人口動態について概説する。  (浅川達人)

表3-1-4 平成不況期の人口増加率と全国人口に占める構成比

国勢調査データから作成