〔第四項 コーホート別人口の変化〕

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人口学では、同じ期間に出生した集団をコーホートと呼ぶ。ここではコーホート別の人口の変化をグラフ化した(図3-2-4-1)。昭和四五年(一九七〇)に〇〜四歳であったコーホート(一万四二〇三人)は、昭和五五年には一〇〜一四歳になる。昭和五五年の一〇〜一四歳人口は一万一七一一人であったので、このコーホートは二四九二人減少したことになる。昭和四五〜五五年のグラフにおいて、一〇〜一四歳がマイナス二四九二人となるのは、前述の計算による。なお、〇〜四歳と五〜九歳は比較対象がないため、純増とした。
昭和四五年から五五年の変化をみると、二〇〜二四歳が約六〇〇〇人の増加を示していた。これは前述したとおり、就学・就業のチャンスを求めて港区に流入してくる人が多いことを示している。それに対して、二〇代後半以降はすべてのコーホートについてマイナスの値を示していた。特に、三〇代前半から四〇代前半の減少が著しいことから、結婚し子供を産み育てるライフステージとなったこれらのコーホートは港区から流出していたことが示唆される。なお、昭和四五年の七五歳以上人口は合算して報じられていたため、七四歳までをグラフ化した。
昭和五五年から平成二年(一九九〇)の変化をみると、昭和四五年から五五年に比べて二〇代前半の人口増加が減少し、三〇代前半から四〇代前半の人口減少もまた弱まったことがわかる。一方、平成二年から一二年の変化をみると、二〇代前半と後半が増加しているのみならず、三〇代前半から四〇代前半までも流出数を減少させていることがわかる。平成二年までは港区から流出していた子育て世代が、港区から流出せず港区内に居住し続けることができるようになったことを示している。そして平成一二年から二二年の変化をみても同様に、二〇代前半から四〇代前半にかけて人口が増加しており、さらに四〇代後半から五〇代後半まで人口増加を示していた。二〇〇〇年代に入り、前述したとおり港区が取り組んできた住宅を増やす政策が奏功し、それまでであったら港区外に流出していた人々が流出しなくても、港区内に居住し子どもを産み育てることができるようになったことが示唆される。  (浅川達人)

図3-2-4-1 コーホート別人口の変化

「港区行政資料集」各年版から作成