土地につけられた名称というものは、その地域に暮らす人々の生活様式や自然条件などの特徴と密接に関連しており、ある種の歴史遺産としての意味を有している。また、その地域での共同体的なアイデンティティや帰属意識を形成・強化するための要因の一つとしても重要である。
明治以降、町名は江戸時代以前からの伝統を引き継いできた土地の名称という意味だけではなく、近代国家の重要機能である徴税事務の効率的運用という目的と絡み合いながら運用されてきた。東京府管内では、明治五年(一八七二)に地券制度が導入されるとともに町名の変更や町域の統合整理が大規模に進められ、同三一年の戸籍法改正にあたっては、戸籍の表示として地番という呼称で事務的に用いていたものが住所を表示するものとなっていった。
この徴税と住所という二つの目的が混在したまま戦後に至り、様々な問題点が表面化してきたことを受けて、昭和三七年(一九六二)に住居表示に関する法律が成立し、全国的に町名を見直す動きが広まっていった。港区では、現在まで麻布狸穴(まみあな)町と麻布永坂町を除く区域(全面積の99・71%)で住居表示が実施済みであり、旧来からの町名の大部分は統合・消失してしまった。
本章では、まず現在使用されている町域ごとの歴史的経緯について、『新修港区史』第九章「町域の歴史」の記述内容に依拠しながら概説していく。基本的に近代以降の動きをまとめてあるので、中世以前の動き詳細については新修港区史や港区ホームページを確認してほしい。その上で、戦後の住居表示事業がどのように進められていったかを次節で見ていくこととする。
なお、総合支所単位における区域の管轄については、次のような区分となっている 。
芝地区:芝(一〜五丁目)、海岸(一丁目)、東新橋(一〜二丁目)、新橋(一〜六丁目)、西新橋(一〜三丁目)、三田(一〜三丁目)、浜松町(一〜二丁目)、芝大門(一〜二丁目)、芝公園(一〜四丁目)、虎ノ門(一〜五丁目)、愛宕(あたご)(一〜二丁目)
麻布地区:東麻布(一〜三丁目)、麻布台(一〜三丁目)、麻布狸穴町、麻布永坂町、麻布十番(一〜四丁目)、南麻布(一〜五丁目)、元麻布(一〜三丁目)、西麻布(一〜四丁目)、六本木(一〜七丁目)
赤坂地区:元赤坂(一〜二丁目)、赤坂(一〜九丁目)、南青山(一〜七丁目)、北青山(一〜三丁目)
高輪地区:三田(四〜五丁目)、高輪(一〜四丁目)、白金(一〜六丁目)、白金台(一〜五丁目)
芝浦港南地区:芝浦(一〜四丁目)、海岸(二〜三丁目)、港南(一〜五丁目)、台場(一〜二丁目)