全域がほぼ近世前期の造成地であり、外海と隔てられている地形の状況から、海潮がせき止められているという意味の「潮止め」が「汐留」という地名になったと推定されている。
明治五年(一八七二)に日本の鉄道起点とされる新橋駅が設置され、同年この土地にあった武家地に汐留町一〜二丁目が設定された。町域南辺は新銭座町と呼ばれていた。この新橋駅は山手線高架鉄道開通により、大正三年(一九一四)に起点機能を東京駅に譲って貨物専用駅となり、駅名も汐留駅に変更された。
大正一二年に発生した関東大震災の際には全域が被害を受け、昭和七年(一九三二)の区画整理において国道一五号線沿いは新橋一〜七丁目となり、汐留町一〜二丁目および新銭座町は単に汐留となった。戦前戦後を通じて運輸関係の事務所が置かれることが多かったのは、汐留駅の貨物輸送に果たしていた役割の大きさを物語っている。平成一二年(二〇〇〇)前後から汐留駅跡地周辺の大規模な開発が進んだ結果、平成一四年には電通本社ビル、同一五年には日本テレビホールディングス本社ビルが竣工するなど、超高層ビルが立ち並ぶ街並みとなっている。