4:新橋(一〜六丁目)

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全域が沖積低平地にある。町名の由来となっている新橋が創架された時期は、江戸市街では最も古い部類に属し、日本橋が架けられた翌年の慶長一〇年(一六〇五)であった。ただ、新しい橋というからには、それ以前に比較される橋があったことは確かであろう。
明治時代に入ると、明治二年(一八六九)には御掃除屋敷・快庵屋敷をもって新幸町とし、芝口一丁目の東側は芝口新町・汐留三角屋敷と合わせて汐留町とした。明治五年には、この土地にあった武家地に烏森町、日影町一〜二丁目、愛宕下町一〜四丁目を設置し、汐留町を芝口一丁目に編入した。
明治五年の新橋駅開業以来、この町域は銀座に続く繁華街として発展、特に洋家具店の多い町として知られるようになった。明治四二年には高架電車線が設けられ、烏森駅が町域に設置された。この駅が大正三年(一九一四)に新橋駅と改称され、現在に至る。関東大震災では全域が焼滅し、復興に向けて進められた昭和七年(一九三二)の区画整理においては新橋一〜七丁目と田村町一〜六丁目に整理されたが、当時は新橋の町名は現在の東新橋や西新橋にも一部わたっていた。
戦後は新橋駅付近にいち早く闇市が形成され、町域の北部は戦前以上の繁華街として発展していくが、南部も含め駅前の再開発以降、銀座や丸の内とはまた趣の異なる都心的な事業所街をなしていくこととなった。また、平成七年(一九九五)にはゆりかもめの開通によって新橋駅から江東区の有明駅までが結ばれ、同一八年には江東区の豊洲駅まで延伸開業するなど、ベイエリアへの交通拠点となっている。