5:西新橋(一〜三丁目)

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中世以前の記録はまったくなく、桜川あるいは赤坂川の沖積低地として形成された土地であることが知られるのみである。近世に入ると、江戸城郭を形成する必要から市街ができ上がっていったようである。
この町域の武家地については、明治二年(一八六九)に桜田本郷町、同五年に新桜田町、南佐久間町一〜二丁目、田村町、芝愛宕二丁目が設置された。明治維新後はしばらく大名邸が荒れ果てたままであったが、次第に都心に近い商工業地としての発展を遂げていくようになる。明治末期までは桜田諸町の近辺を除いて住宅地が混在していたが、次第に北部から会社事務所や商店が増加していく。
関東大震災の被害は、北端を除いたほぼ全域にわたり、昭和七年(一九三二)の区画整理によって新桜田町・桜田太左衛門町・桜田備前町の各一部を残して、芝田村町一〜六丁目が設置された(丁目のない田村町も一部そのまま残った)。
戦後の三区統合により町名には旧区名の芝を冠することとなったが、芝桜田太左衛門町と桜田備前町は昭和三一年四月に芝田村町二丁目へ編入、芝新桜田町は同三二年一月に芝田村町一丁目に編入された。この町域は、既に昭和四〇年代頃から高度経済成長に入りビル化が進行し、純然たる都会的な市街が形成されていった。