7:浜松町(一〜二丁目)

281 ~ 282 / 403ページ
慶長九年(一六〇四)に町域の西辺を東海道が通過することになるまでは海浜地であった。
明治五年(一八七二)にこの町域にあった武家地を芝新銭座町と神明町、浜松町一〜二丁目にそれぞれ統合した。慶應義塾の命名地である新銭座町は、この付近の里俗(りぞく)名(土地の俗称)であったが、この際に公式な町域に入った。当時は腹掛や股引(ももひき)、足袋(たび)、煙草(たばこ)入れ、傘、鼈甲櫛(べっこうくし)などを生産する町であり、維新前後には江川塾や攻玉塾などもこの地に置かれた。
関東大震災による被害を受けて、昭和七年(一九三二)から町名が浜松町一〜四丁目に整理された。それ以前は、芝大門の国道側の一側を含む町域であったが、現二丁目に市電の用地があったほかは概ね小事業所や生産材料商店の多い土地柄であった。しかし、近年では都心化が進行している。昭和三九年にはモノレール浜松町駅が開業し、同四五年には世界貿易センタービルが開業するなど、町域のモニュメントとなる。平成一二年(二〇〇〇)に地下鉄大江戸線が開通したことにより、大門駅がJRとモノレール、地下鉄二路線の乗換駅となり、多くの乗降客数を誇る一大ターミナル地へと発展している。