17:南麻布(一〜五丁目)

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西方は旧笄(こうがい)川、南方と東方を古川の谷に囲まれ、北は元麻布の高台で、南へ鈍く突出した傾斜面にある土地である。
明治二年(一八六九)の町名の統合整理と同五年の武家地・寺社地への町名設定によって、麻布東町・麻布竹谷町・麻布本村町・麻布新堀町・麻布富士見町・麻布広尾町・麻布盛岡町・新笄町が設置された。その他に渋谷上広尾町、下渋谷村、麻布本村が後に加わり、また河川敷の地域は八郎右衛門新田、麻布広尾町枝郷、新広尾町一〜三丁目などと変遷した。
近代には、西部低地を中心に古川沿岸には工場が置かれ、その他の低地には小住宅、台地斜面上には東京市内でも屈指の大邸宅街が出現した。大正期から戦前にかけては地図に残るだけでも一八の大邸宅が確認できていた。戦後は財産税物納などで邸宅街も様変わりし、個人邸宅の規模が縮小する一方で、各国の公館が増加していった。高級マンションの建設も各所で進んでいった。なお、古川右岸の麻布新広尾町一〜三丁目と麻布田島町は近世以来麻布とされ明治一一年以降も麻布区に属していたが、住居表示の際に古川を境界として三田・白金地区に編入された。広尾駅周辺は国際色豊かなカフェやレストランなどの飲食店が集まっているが、その他は有栖川宮記念公園周辺を中心に閑静な高級住宅街としての雰囲気が維持されている。