住居表示法の制定

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この地番主義の弊害除去をめぐる動きについては、「昭和の大合併」がひと段落し、もう近い将来において市町村区域の再編が起こらないと考えられた一九五〇年代後半になってようやく表面化することとなった。
昭和三四年(一九五九)三月、東京市政調査会や都市計画協会、日本商工会議所、日本新聞協会、東京電力、東京ガス、日本通運、郵政省、電電公社、日本百貨店協会、主婦連合会、東京都などの錚々たる有力団体を網羅した組織として番地整理促進協議会が結成され、自治庁・法務省に対して「町名地番の混乱により、国民の日常生活、経済活動、行政等に多大の不利不便を生じており、これをすみやかに解消する必要がある」旨の陳情が行われた。同年一一月には参議院地方行政委員会においてこの町名地番問題の解決が決議され、翌昭和三五年には自治省が都道府県を通じた全国調査を行い、町名地番整理を行う必要がある市町村が約六二〇団体にのぼることを把握するに至る。
そして、昭和三六年五月、内閣総理大臣の諮問機関として町名地番制度審議会が設置され、約半年間の審議が行われた結果、一一月に「町名地番制度の改善に関する答申」が出された。この答申では、国の施策として地番とは無関係の住居表示制度を確立する必要性から、具体的な方法として諸外国で市街地の住所表示に用いられているハウス・ナンバー制度を参考として建物に番号をつけて表示する方式が提案された。これを受けて自治省は昭和三七年三月に住居表示に関する法律案を提出、参議院地方行政委員会で全会一致で可決された後に参議院本会議で可決、衆議院に送付されて衆議院地方行政委員会にて審議を経た後、五月六日に衆議院本会議で可決成立するに至る。