住居表示事業の進捗状況

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住居表示に関する法律の制定・施行を受けて、港区は昭和三七年(一九六二)一〇月、総務課に住居表示係を新設し、実態調査に着手し始めた。住居表示は市区町村の事業であり、議会の議決を経て市街地についての区域を定め、当該区域における住居表示の方法について「街区方式」(道路、河川などを境界として適当な大きさの街区を作り、各街区に一定の順序により街区符号を付け、街区区域内の建物等に一定の順序により住居番号をつける方式)か「道路方式」(市区町村内の道路に名称を付け、その道路の両側に沿って建物等に一定の順序により住居番号をつける方式)のいずれかを選択する必要があった。東京都では街区方式を推奨しており、港区でもこの街区方式を採用した。
昭和三八年三月、港区議会は区域全域を市街地と認定して全域に住居表示を実施することを議決し、学識経験者、関係機関職員、行政委員などを含めて港区住居表示協議会を設置した。この協議会では、町域は道路、河川、鉄道等の恒久的施設をもって境界とすることを原則とし、商業を主とする地域では0・1㎢(約三万坪)および八〇〇戸、住宅を主とする地域では0・17㎢(約五万坪)および一〇〇〇戸、工業を主とする地域では0・27㎢(約八万坪)および四〇〇戸を基準規模とする東京都の実施基準に準拠しながら、「町割り―街区割り―住居番号」という形での住居表示を実施する旨の実施基準が決定された。なお、新しい町名を決めるに当たっては、歴史上由緒のあるもの、親しみやすいものなどに留意点が置かれていた。
なお、街区方式による住居表示の実施工程は図4-2-1のようになっている。
東京都と二三区はこの住居表示事業に非常な熱意を持っていたとされ、昭和四〇年三月までに一五区が住居表示に特化した部署を設置し、東京都庁からも計三四五人の職員が各区に派遣(最小八人〜最大三一人)されていた(川久保 一九六五)。港区でも、昭和三九年七月の芝、芝浦地区から住居表示が実施されていき、現在では区面積の99・71%で住居表示が実施済みとなっている。その詳しい実施状況は、巻末の表4-2-1のとおりである。
なお、住居表示に関する法律は、昭和四二年七月に議員提案によって一部改正が行われている。これは、街区の設定や町名の決定について地域住民の意見を尊重するという趣旨を強化するものであった。すなわち、住居表示実施のために町や字の区域や名称の変更を議決するにあたってはあらかじめ案を公示することや、この案に異議がある場合は三〇日以内に当該区域の有権者五〇人以上の連署をもって案の変更を請求することができること、議会もこの変更請求があった場合は公聴会を開いて関係者から意見を聞いた後でなければ議決できないことなどが新たに定められた。この法改正の背景には、次に見ていくような、行政的必要からくる町域の統合や町名の変更に対する住民からの反発が当初の想定以上に強かったことがあったようである。

図4-2-1 街区方式による住居表示の実施工程図(概要)

金井襄「住居表示制度の現状と課題」(『地方自治』431、1983)掲載図をもとに作成