戦時体制と町会・自治会

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一般的に町内会や自治会と呼ばれる地縁団体のルーツは古く、江戸時代の五人組(近隣五戸を一組として防犯や防火、戸籍、納税などの業務を管理する単位)などに原型が求められる。また、その名称についても様々あり、町内会、自治会、部落会、町会、親睦会、区など様々な名称が用いられていた。以下、本章では引用部分を除き、都内で最も多く使用されていた「町会」に統一しながら記述していくこととする。
近年の研究に依拠すると、町会の組織的特質としては概ね次の七点に集約することができる(日高 二〇一八)。
①一つの町内・集落に一つの会しかない地域占拠性
②町内・集落に住むすべての世帯が構成員という建前に立つ全世帯自動加入制
③個人ではなく世帯で加入する世帯単位制
④町内・集落のあらゆる社会的機能を引き受けうる包括機能性
⑤自治体区域内にほぼ重複なく網羅的に組織される非重複網羅性
⑥一定の行政機能を分担・補完する行政末端機能
⑦類似した組織が全国ほぼすべての自治体に存在するという全国遍在性
東京市において、この地域的組織である町会を自治行政の公式な末端機構として利用しようとする動きは、昭和初期からあった。しかし、昭和七年(一九三二)の東京市への周辺八四町村併合があったため具体的な組織化の成案までは至らず、同一三年になって「東京市町会整備要項」「東京市町会規準」「東京市町会規約準則」などが整備されていった。昭和一四年の段階で東京市全町(丁目)数が二四五四に対して町会数は二四六一であったから、概ね一町(丁目)に一つの町会が結成されている状況であった。なお、昭和九年に東京市役所が実施した調査では、既に芝区で一四〇、麻布区で五九、赤坂区で四二の町会が設置されていた。その創設時期が概ね大正一二年(一九二三)から昭和二年に集中していたことに鑑みれば、都心部の町会は関東大震災後の自警の必要性から発足したものが多かったと推測される。
昭和一五年九月に内務省が出した訓令第一七号「部落会町内会等整備要領」を契機として、町会は全国的に自治行政の末端機構という性格に加えて、国家総動員体制を遂行する上での末端機構という性格が入り込み、一〇世帯程度で組織される隣組の管理団体としての機能を果たしていくこととなる。この動きに合わせて、東京市は昭和一八年五月に「東京市町会規程」を定め、一町会あたり四〇〇世帯から六〇〇世帯を基準としながら町会区域の整理統合や町会機構の編制などを進めた。この時期の町会の内部では、庶務、消費経済、納税、軍事援護、防務、健民、婦人、青少年の八部制が敷かれ、行政下部組織としての性格が強化されていった。