ポツダム勅令が失効する昭和二七年(一九五二)一〇月二四日までの間、町会は一切廃止という形となった。ただし、政令第一五号によって完全に町会が廃止されたかというと、実態はやや違ったものとなっていたようである。配給業務や通達連絡業務といった自治体行政からの仕事が町会の手から離れたことはそのとおりではあったが、親睦団体として継続したものや形を変えて引き続き活動を行っていたケースも多かった。昭和二七年に総理府の機関がまとめた報告書によれば、全国六〇市町村内の四一五地区を対象としたサンプル調査において町会に相当する組織が存在していない地区はわずか五地区に留まり、四一〇地区にある類似組織の約八割は政令第一五号が施行されてから三か月以内に再建されたものであったとされる(総理府国立世論調査所 一九五二)。
また、講和独立が間近に迫ってきていた昭和二六年一〇月二五日の段階では、地方自治庁は「町内会部落会又はその連合会等に関する解散、禁止その他の行為の制限に関する件(昭和二二年政令第一五号)について」と題した次のような次長通知を各都道府県知事に出していた。
講和条約発効の日をもって廃止するポツダム宣言の受諾に伴い発する命令の一として目下検討を加えられている標記政令に関連して、最近、新聞紙上で政府は、町内会、部落会等の禁止を解除し、その復活を奨励する意向であるかの如き趣旨の報道がなされ、その取扱に関し、疑義を生じている向も少くないようであるが、政府としては、この件に関して、いまだ具体的にどのように措置するか態度を決定したことはなく、その及ぼす影響を考慮し、特に慎重を期して検討を加えている次第である。しかしながら、現在のところ、少くとも戦時中におけるが如き町内会、部落会の組織を復活させるという意図は全くなく、右の政令はなお引続き効力を有しているのであるから、すでに右政令が廃止された如く誤解のないよう指導上特に留意されると共に、管下市町村にこの旨達されるようお願いする。
なお、同政令を廃止するとして将来市町村の下部組織についていかに措置すべきかこれと自然発生的の部落会町内会等の組織との関係をいかにすべきかについて御意見があれば、理由を添えて一一月一〇日までに御報告願いたい。
続けて昭和二八年一〇月一六日に第一次地方制度調査会から出された「地方制度の改革に関する答申」では、全国画一的に町会を市区町村の下部組織として扱う措置はとらず、個々の市区町村がそれぞれの実情に応じて対処するという「静観主義」の方針が公表されるに至った。もっとも、この当時において既に自治庁は後に「昭和の大合併」と呼ばれる全国的な市町村合併の推進に積極姿勢をとっている渦中にあったことに鑑みれば、市区町村内部の地域的組織であった町会までも抜本的に再編する余力は残っていなかったと見るべきであろう。