戦後から地域社会を支えてきた活動として、青少年の育成に関するものにも触れておきたい。
アジア・太平洋戦争後の混乱の中、青少年の逸脱・非行が大きな問題となっていた。次代を担う青少年を保護・教導するため、港区では、昭和二三年に地域の母親たちが「愛宕少年補導母の会」(後に「愛宕母の会」へ改称)を結成した。また昭和二五年には港区の各学校長、各警察少年防犯主任、児童委員、少年保護司、母の会役員等で構成される「港区青少年問題協議会」を設置した。協議会は青少年健全育成活動方針を策定し、それに基づく諸活動を通じて地域の青少年関連団体・組織が連携するための中心的役割を担ってきた。その後、昭和二八年には協議会の活動の根拠法である「青少年問題審議会及び地方青少年問題協議会設置法」(平成一一年に「地方青少年問題協議会法」に改正)が制定されている。この法律に基づき、昭和四〇年三月に「港区青少年問題協議会条例」が制定され、協議会は区長の付属機関となった。
港区青少年問題協議会の下部組織として、「港区青少年対策地区委員会」が昭和三四年に区立中学校の通学区域ごとに設置された。その後、委員会は昭和三七年に港区青少年問題協議会から独立し、地域の青少年を対象とする様々な活動・実践の担い手となっていく。委員会の構成員は地区内の町会・自治会、PTA、青少年団体、民生委員・児童委員、保護司、学校長等の関係者であり、港区青少年健全育成活動方針に基づき、①青少年をめぐる社会環境の浄化、整備、②校外生活指導と青少年の余暇指導の強化、③青少年団体の指導育成、④働く青少年の指導育成、⑤家庭および両親教育の振興、⑥児童福祉対策の強化、⑦その他青少年の健全育成の推進といった活動を実践してきた。
昭和五七年には港区青少年問題協議会の下部組織だった「補導連絡会」を青少年対策地区委員会の「補導連絡部会」として組織を一体化し、より一層活動を強化するとともに、委員会は総合的機能を持った地域活動団体となった。
現在は一〇の青少年対策地区委員会が組織されており、青少年をめぐる社会環境の浄化や健全育成および非行防止の対策を、地域社会の力を結集して進めていく自主的な地区組織活動団体となっている。地域の実情に応じた活動に取り組むとともに、区や関係行政機関と協力し、構成機関・団体相互の連絡調整を行っている。
なお、青少年教育の振興を図るため、東京都では昭和二八年に教育委員会管轄の「青少年委員会」制度を設け、昭和四〇年には青少年委員会の設置に関する事務を都から区に移管している。港区青少年委員は、港区教育委員会から区立中学校通学区域ごとに委嘱された非常勤公務員であり、青少年の余暇指導、青少年団体の育成、関係機関との連絡調整等、家庭・学校・地域のパイプ役としての活動等を職務としている。
港区の青少年問題協議会、青少年対策地区委員会、青少年委員会は、相互に連携しながら、昭和二〇年代では薬物乱用(ヒロポン等の覚醒剤)、同三〇年代から四〇年代にかけては暴力非行、同五〇年代では校内暴力やいじめ等、平成以降では不登校やひきこもり等の青少年問題に対して、改善・解決を目指す地道な活動を続けてきたほか、レクリエーションや親睦も兼ねた各種体験活動を企画・実践し、地域の青少年育成に大きく貢献してきたといえよう。 (小山雄一郎)