戦時体制下の昭和一八年(一九四三)六月に地方統制の強化策として東京市と東京府が廃止され、東京都が新設されると、区は「東京市の区」から「東京都の区」となった。その二年後には終戦を迎え、この制度改革は成果をみる前に役割を終えることとなる。その後、昭和二二年四月に「地方自治法」が施行されるに伴い、東京都は他の道府県や市町村と同様の地方自治体となった。同時に区は特別区となり、市町村と同等の基礎的自治体となった。また、同年四月に制定された「区委譲事務条例」において、区が処理する事務は「保護救済、乳幼児・児童及び母性の保護、国民学校・幼稚園および青年学校の建設、学校衛生、図書館の建設、社会教育、街路照明、公園、緑地」などと定められた。しかしながら、事務権限について都が決定する方式も含めて、区の権限は一般の市町村に比べて極めて限定的なものであった。また「区長公選制」が採用されるなど特別区の自治権が拡充された当初の流れも、独立区を目指す特別区と、特別区の行政区化を目指す都との対立もあり、昭和二七年九月に施行された改正地方自治法では特別区は基礎的な自治体から都の内部的部分団体へと位置付けが変わり、区長も公選制から区議会が都知事の同意を得て選任する仕組みとなるなど自治が後退することとなる。
この間は終戦後の混乱期であり、インフレの進行と食糧難が続く中で官民を挙げて戦災復興に全力を注いでいた時期である。したがって、行政サービスに対する需要は旺盛であり、それに対応するのがこの時期の課題であった。基礎的自治体に関係する大きな改革は、学制改革であった。自治法の施行と同時に六・三制義務教育および男女共学が始まったが、これにより戦災の被害を受けた小学校(旧国民学校)の復旧や修繕、新制中学校の教育施設の新設など、教育関連の設備を整える必要があり、これは区財政を大いに圧迫した。さらに、区に対しては「住宅、食糧、街灯、浴場、公設質屋、遊び場、図書館、保育所等」の整備が要求され、そのための歳出が主となった。