この時期は戦後の混乱期であり政策的にも過渡期であったがゆえに、予算科目が頻繁に変更されている。昭和二二年には一七科目あったものが、昭和二九年には議会費、区役所費、土木費、建設行政費、教育費、厚生事業費、産業経済費、選挙費、財産費、諸支出金、納付金、予備費と一二科目にまで整理統合されている。
昭和二五年度には建築行政費と納付金という科目が追加されている。建築行政費については、昭和二九年度は九二万九〇〇〇円の予算が措置されているが、その過半(四八万七〇〇〇円)は建築指導費となっている。この時期に戦後からの復興が進み、住宅などの建築需要が伸びたことがうかがえる。納付金については、都区財政調整制度にかかるものであり、詳細は各節の三項に譲ることとするが、この使途(目)はすべて「特別区財政調整納付金」となっている。
昭和二七年度から特別会計として質屋事業が現れるが、これはこの年度から白金・赤坂公益質屋が東京都から移管されたためである。また、衛生費と消防団費にかかる事務が昭和二四年度から都に移管されたため、科目から消えている。 (佐藤公俊)