さて、表6-1-2-2(*)で示されているように、特別区の税体系は昭和二五年度に大きく変化している。すなわち、前年度には二割に満たなかった独立税の構成比が九割超となり、それまで都税附加税とされてきた地租附加税等は、「旧法による普通税」として一割に満たない割合にまで低下した。このような大きな変化の背景にはシャウプ勧告に基づく地方税財政改革があった。
終戦後続いてきたインフレを収束させるため昭和二四年度に実施されたドッジ・ラインによる「総合予算の真の均衡」の下、地方配付税の圧縮や補助金の削減等により、地方財政は深刻な影響を受けることとなった。このような中、同年五月に来日したシャウプ税制使節団は地方財政について、地方自治を強化する民主化政策に対して税・財政面から支援を与えることを使命とし、(1)地方税を約三割増加させ、地方の財政的基盤を強化する、(2)地方自治の発達上、強化を必要とするのは都道府県よりもむしろ市町村であるという考え方の下、地方税の増加分を専ら市町村に振り向ける、(3)地方税は附加税主義を廃して独立税で構成することとし、都道府県税は附加価値税、入場税および遊興飲食税を中心に、市町村税は住民税および固定資産税を中心に構成する税体系とする、(4)中央政府による統制を少なくして地方自治を強化するために、国庫補助金を大幅に削減するとともに、地方団体間の財政力の不均衡を調整するために新たに地方財政平衡交付金制度を樹立する、という内容の勧告を行った(東京都財政史研究会編 一九七〇)。
このシャウプ税制使節団に対して、特別区の区長会は昭和二四年七月、(1)地方税法の市町村に関する規定は特別区に準用するように改正すること、(2)特別区税の一部は東京都が徴収し、都条例によって特別区に配分して各区の財政調整を図ること、という陳情を行った。さらに同年九月には、区長、区議会議長、自治権拡充委員長および財政委員長の四者合同会議で「特別区財政自主権獲得運動実施大綱」を決定し、次のような内容からなる要請書を政府、国会、連合国最高司令官総司令部(GHQ)等に提出した。すなわち、(1)特別区に対して市町村同様の課税権を与えること、(2)特別区相互の財政調整は都が行うものとし、その財源は都が特別区の同意を得て、都条例により特別区税の一部を都税として賦課徴収すること、(3)財政調整の方式は政府の地方財政平衡交付金に準じ、都条例で定めること、(4)警察・消防など特別区が連合して負担すべき経費についても、特別区税の一部を都税として賦課徴収し得ること、(5)(2)ないし(4)の条例設定については、政府の地方財政委員会に準じ、都区関係者をもって構成する委員会を設け、その議決を経ること、というものであった(東京都財政史研究会編 一九七〇)。
しかし、こうした特別区側の要求に対して東京都は、事務配分が決まらず、財政需要が不分明な段階では、区税の法定化は適当ではなく、従来どおり都条例で弾力的に調整していく方が良いと主張して譲らなかった。この事務配分のあり方については、昭和二四年一二月に設置された地方行政調査委員会議(いわゆる神戸委員会)が検討を始め、都区双方ともその主張を反映させるためにこれに働きかけていたが、勧告が出るまで暫定的に都区間の調整を図るための機関として、都区それぞれ同数の委員と中立委員により構成される都区調整協議会が同二五年三月に設けられた。同協議会では都と区が激しく対立し、中立委員の裁定によって事務事業および財源の配分について了解に達したのは同年八月であった。すなわち、財源配分については、(1)特別区の財政需要に対する財源(調整財源を含む)は市町村税のうち市町村民税の他、自転車税、荷車税、犬税、木材引取税、接客人税および使用人税をもって充てることを原則とする。なお、固定資産税、電気ガス税および広告税も市町村税ではあるが、税源の偏在が著しいので特別区税とするには適しない、(2)以上の税総額が特別区の財政需要総額を超過する場合には、その超過額は都が区の区域において行う事務事業の財源に充て、税総額が特別区の財政需要総額に達しない場合には、その不足額は都税収入をもって補填する、という裁定が下されたのである(『新修港区史』一九七九)。
このような都区間の妥結によって、昭和二五年九月に「東京都特別区税条例」、「東京都特別区財政調整条例」および「特別区特別納付金条例」が制定され、区は普通税として、特別区民税、自転車税、荷車税、木材引取税、接客人税、使用人税および犬税を課すこととなった。一方、先にみたように、シャウプ勧告では市町村税は住民税と固定資産税を中心に構成することとされ、実際に同年七月に制定された新たな地方税法では、市町村税として固定資産税が設けられた(『新修港区史』一九七九)。しかし、区税においては、住民税に相当する特別区民税は設けられたものの、固定資産税は設けられず、特別区域内の固定資産税については都が課すこととなった(東京都財政史研究会編 一九七〇)。現在、固定資産税は住民税と共に市町村税収を支える基幹税であるが、こうした基幹税を欠いていることが、特別区の財源を制約するとともに、その税収構造を一般の市町村のそれとは大きく異なるものとしているのである。
ともかくも以上のような経緯を経て、港区の税収構造は表6-1-2-2(*)に示されるようなものとなった。すなわち、昭和二四年度には二割に満たなかった独立税は、翌年度には九割以上を占め、その中でも特別区民税が大部分を占めるようになった。一方、昭和二四年度に約七割を占めていた附加税は、翌年度には一割にも満たない割合にまで低下した。先にみたように、附加税の廃止と独立税中心の税体系の構築は、シャウプ勧告が主張していた点であった。なお、昭和二六年度以降には税目の整理等が若干あったものの、同二九年度までは同二五年度に確立された税収構造が継続した。