表6-1-2-1に戻り、特別区税以外の主要な歳入項目についてみておこう。冒頭でも触れたように、昭和二二年度においては歳入の六割近くを交付金が占めていた。この交付金は様々な目的のものから構成されていたが、五割強の割合を占めていたのが「職員費交付金」であった。
交付金は昭和二二年度限りで歳入項目から消え、翌年度に新たに登場したのが都支出金である。都支出金は、特殊な臨時的事業の経費や都において計画的に統合を要する事業の経費、あるいは区長に対する委任事務の経費の財源措置として都から交付されるものであり(『新修港区史』一九七九)、昭和二五年度まで特別区税に次ぐ割合を占め、特に同二三年度においては歳入総額の四分の一近くを占めていた。都支出金は昭和二七年度には都交付金となるが、翌年度には一割以上を占め、同二九年度には特別区税に次ぐ割合を占めるに至っている。ちなみに、都支出金および都交付金の金額について目的別の構成比をみてみると、昭和二五年度以降は「六・三制」の整備に関するものが最も大きな割合を占めており、この時期の都および港区において、新たな義務教育制度の整備が最重要課題であったことがわかる。
最後にもう一つ注目すべき歳入項目として、繰越金が挙げられる。繰越金は、昭和二二年度には歳入総額のわずか0・2%を占めるに過ぎなかったが、その後割合を上昇させ、同二八年度には14・1%に達している。このように繰越金の割合が上昇した背景には、地方税法の改正や東京都特別区税条例および港区特別区税条例の制定の遅れに伴う区税の賦課徴収の遅れといった事情があった(『新修港区史』一九七九)。
なお、昭和二七年度に、それまで東京都が経営していた公益質屋が区に移管され、港区では同二七年三月に「区営公営質屋設置に関する条例」と質屋事業会計予算が区議会に上程、可決されたが(同上)、これについては二節二項でみることとする。 (天羽正継)