昭和二二年地方自治法の下での財政調整

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昭和二二年(一九四七)の地方自治法の施行により、港区は他の二一区(当時は練馬区が板橋区域の中に含まれていた)と同様に基礎的自治体の位置付けとなるが、特別区の自主課税権は都制のものが引き継がれた。区の財政の根源となる税制および財政調整制度は、法律ではなく、税制は東京都条例である「特別区税条例」によって区税が創設され、財政調整は「東京都特別区配付税条例」(共に昭和二二年四月一日施行)によって定められた。配付税条例に基づく配付税方式では、都税として集められる一定の税目、割合を配付税の財源としてその半分を各区の課税力に反比例させ、もう半分を各区の財政需要に比例させて配分しようとするものであった。
一方で、昭和二二年度の港区歳入歳出決算では、配付税を含めた区税収入が一四〇八万円であったのに対して東京都からの支出金(交付金)が二四八八万円であり、いわゆるひも付きの財源が税収のおよそ二倍に至るものであった。昭和二三、二四年度は、東京都特別区条例による税目の拡充もあったために都交付金の比率が低下することとなるが、非常に制約の大きい財政運営を強いられたのであった。
加えて、都が区長に執行を委任し、区長が都知事の機関として執行する事務としての予算(令達予算)の存在も大きく、港区においては昭和二五年度決算で三億三四六八万円であった。これは、都知事からの委任執行にかかる予算として、区議会の議決を経ずとも執行されるもので、主に小中学校の教員人件費の支払いや労働対策としての失業救済に使われる資金や民生費として充てられていた。その後この令達予算は本予算の中に組み込まれていくが、この存在自体が法律上は基礎的自治体ではあっても都の内部団体的な要素を残す状態を示すものでもあった。