配付税制度は特別区の財源所要額の保障が不十分であったことや区別の配分方法において均等化が不徹底であったこと等の欠陥を有しており、しばしば特別区側から改善意見が提起された。一方でシャウプ勧告を受け、国と地方を巡る財政調整制度として地方財政平衡交付金制度が創設された。このような国における改革の影響も受け、都区財政調整制度も改革の機運が高まってきた。
そして、昭和二五年九月に合わせて制定された「東京都特別区財政調整に関する条例」「昭和二五年度特別区特別納付金条例」によって、新たな方式による都区間の財政調整制度が運用されることとなった。都区財政調整条例では、適正な課税をもとに、現状に則して妥当な規模と内容において適切な行政を遂行する必要な財源の調整を図るために、都は財政需要額が財政収入額を超える特別区に対して、当該超過額を補填するために必要な額を特別区財政調整交付金として交付しなければならなかった。特別区納付金条例ではこの交付金の財源とするために、財政収入額が財政需要額を超える特別区は当該超過額を特別区財政調整納付金として都に納付しなければならないという規定があった。
そのため、交付金の総額は、財政需要額が財政収入額を超える特別区の超過額の合算額であり、納付金の総額は、逆に財政収入額が財政需要額を超える特別区の超過額の合計額ということになった。自治権拡充という観点からは、この制度改正は港区の成立期から訴えてきた自主的な課税権の拡大である一方で、この納付金の総額は、はじめから交付金の総額を上回ることが想定されており、昭和二五年度においては二三区全区が納付区として算定された。この納付金方式の財政調整制度は国の財政調整制度(当時は地方平衡交付金制度)でも有しない東京都独自のものであり、自治体間の格差を水平的に調整する機能を有することにはなる一方で、各自治体での合理化、効率化に対する意欲を削ぐものであった。また、特別区相互間の財政の均衡化という点からも問題とされた。そのため都と区側の財政調整をめぐる争いが深刻化し、財政調整がそれらの欠陥から年度後半、あるいは年度末にようやく決定をみるという事態となった。
さらに港区にとっては、この納付金制度の設立が、その後、平成一二年(二〇〇〇)の都区制度改革で廃止に至るまで、長い間財政を巡る課題として位置付けられた納付金問題の出発点となっていくのである。