行政サービス需要への対応から重点施策への投資へ

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この時期の特別区と都を巡る地方制度改革の綱引きは激しいものであった。しかしながら十分なものではなかったにせよ、昭和四〇年四月施行の改正地方自治法により福祉事務所の移管など大幅な事務移管、課税権の法定化などが実現し、特別区は事務や財政面からは基礎的自治体へ近づくなど自治権の拡充を獲得した。また昭和五〇年施行の改正地方自治法では区長公選制が復活し、都配属職員制の廃止による人事権の確立、保健所の移管、事務機能限定の廃止等を実現し、市が行うべき事務が都に留保されているなどの課題は残ったものの、独立性を高めた。
また、この時期は昭和五〇年にはじめて策定される港区基本構想、あるいは港区基本計画といった中長期的な総合化・体系化という発想がまだ明示されていなかった。そこで、この時期の重点施策について、『新修港区史』に依拠しつつまとめておく。小田清一区長は昭和三七年三月の区議会において「区政に対する心構えと構想の一端」を述べた。そこで触れられているのが①事務事業の能率的効果的な運営、②教育施設の内容充実、③道路の整備と街路灯の整備拡充、④福祉施設の充実、⑤中小企業の振興対策の五本柱であっ
た。
昭和四〇年度には地方自治法の一部改正により民生・土木事業などが区に委譲され、区民に密接な事業は区の仕事となった。このときの主要施策は①義務教育施設・環境の整備ならびにPTA経費の負担の軽減、②道路、公園、街路灯などの土木関係施設の整備・充実、③民生安定および社会福祉ならびに児童福祉の増進、④中小企業の振興の四本柱であった。以後毎年度追加や変更が加えられ、昭和四五年度には①教育施設および環境の整備、幼児教育の充実、②交通安全対策の強化、交通安全施設の整備、③区民生活環境の浄化・改善、④民生安定のための社会福祉ならびに児童福祉の増進、⑤中小企業の振興発展となっている。
このように、教育、社会福祉と児童福祉、中小企業振興は一貫して変わらない重要課題として掲げられ、時代の流れに伴って交通安全や生活環境の改善等が新たに付け加わっている形となる。昭和四六年度以降は予算編成の方針として①次代を担う世代の健全な育成、②区民の安全と生活環境の整備、③区民生活の安定と向上の三本柱が立てられ、(1)老人対策、(2)心身障害者対策、(3)緑化対策が重点施策目標となった。昭和四九年度は高度経済成長の終わりの象徴ともいうべきスタグフレーション(物価の高騰と不況の深刻化)の対策も盛り込まれている。
以上のように、年度を経るにつれて個別的具体的な柱が包括的抽象的になっていったことがわかる。現在にまで続く構想と計画の時代への移行期といえる。