以上は一般会計についてみてきたが、最後に特別会計の状況についてみておきたい。一節でも触れたように、昭和二七年度にそれまで東京都が経営していた公益質屋が区に移管され、港区では同二七年三月に「区営公営質屋設置に関する条例」と質屋事業会計予算が区議会に上程、可決された(『新修港区史』一九七九)。表6-2-2-3(*)は質屋事業会計の歳入決算額の推移を示したものであるが、一貫して九割前後の割合を占めているのは事業収入であり、その中でも返還金が大部分を占めている。
この時期における特別会計としてはもう一つ、国民健康保険事業会計がある。各特別区は昭和三四年一二月に国民健康保険事業を一斉に開始した(東京都財政史研究会編 一九七〇)。表6-2-2-4(*)は港区の国民健康保険事業会計の歳入決算額の推移を示したものであるが、歳入総額は昭和三四年度の四〇七〇万円から同四九年度の二四億円へと、実に六〇倍近く増加しているにもかかわらず、最も基本的な財源であるはずの国民健康保険料が占める割合は同三四年度の70・3%からほぼ一貫して低下し、同四九年度には21・9%となっている。このように保険料収入の割合が低下し続けた要因は、保険料率が据え置かれたことである(東京都財政史研究会編 一九七〇)。これに対して割合を上昇させているのが国庫支出金と都支出金であり、特に国庫支出金は昭和四三年度以降、歳入総額の半分以上を占め、そして同四九年度には都支出金と合わせて八割近くを占めるに至っているのである。 (天羽正継)