四つの重要論点協議

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一件算定は公共施設の区間格差の是正、行政需要の地域差への配慮などで投資的経費に係る算定としてこれまで行われていた。しかし、これによって各特別区の自主性を阻害されているという批判も多く、廃止の方向で議論するよう地方制度調査会等でもたびたび批判されていたものである。東京都側もかつての戦災や区によって偏在していた公共施設の整備の平準化がある程度進んだものとみて、今回の改正によって身分切り替えがなされる職員の人件費と投資的経費の単位費用化には、都区間である程度協調する形で調整が進められた。この単位費用化によって、かつて一件算定として都区間で交渉に要していた大部分が自動的に財政調整で総枠が決定することとなったのである。なお、義務教育施設整備事業については事業量が各学区域の児童生徒数の将来推計に係ることから都区協議の余地を残すものとして準単位費用化とされた。 
自主財源(留保財源)率については区側はその拡大を求めた。そもそも地方交付税制度による一般市の基準財政収入額のうち、自主財源として実施される事務として換算される財源割合が25%であった。一方、特別区においてはその時点で10%と低く、市並みの25%になることを求めた。しかし東京都側は、都区財政調整制度による基準需要の捕捉は地方交付税制度より大きく、区案では自主財源率が25%を超える区も出てくるという理由で引き上げに難色を示した。そして、特別区長会役員会と都の三副知事との間での交渉を経て結果として都は再提示案を示し、自主財源率を総枠25%とするものとして都区の合意が成立した。その総額25%内訳としては、税収等による部分15%、新たに「その他行政費」および「調整費」を設け、人口按分などによる部分を10%とした。このように自主財源を総枠で確保することで決着したのである。
次に基準財政調整需要額の算定方法をめぐる問題である。自主財源が引き上げられたとしても基準財政需要額として算入される事業の範囲が少なくなれば、自主財源で賄わなければならず、財政の自由度は高まらないか、むしろ低くなる可能性がある。しかしながら、区は前述の自主財源比率の引き上げを優先し、基準財政需要の算定額範囲の点で譲歩したため、全特別区の総額見積りとして、四一四億円の区側の増、需要算定対象外事業分で三一〇億円の減が示された。
四つ目の論点であったのが調整率問題である。調整率は昭和四九年度時点で40%であり、東京都側としては積み上げにより積算を行ったら同じ40%となったと主張した。特別区側は少なくとも事務移管分の増分はなされるべきものとして両者の主張には大きな隔たりが生じ、一時は膠着状態となった。そこで昭和五〇年一月、特別区長会の正副会長と特別区協議会の常務理事が都と話し合って膠着状態の打開が図られた。そこでは基本線として協議に臨む腹案を作成し、そこで算出した分の増額を最低限の要求として協議に臨むこととした。その基本線のうち算出に係るものは次の二つである。
ア 「経常経費」については、その一部には各区の政策的判断に基づいて行われるものもあるが、大部分は各区共通して普遍的に行われている事務であることから、従来どおり基準財政需要額としての措置を要求する(二二億円)。
イ 「人件費」については、一件算定より既にある施設に配置されている職員のものであり、都と協議して作ったものであるから、従来どおり基準財政需要額としての措置を要求する。国民年金についても同じである(八五億円)。
これを従来の40%に加算した割合が43%となることから、それが特別区側の最低限の要求線となった。
そして昭和五〇年一月三〇日、特別区長会の正副会長と都による折衝が行われ、個別的事項を含めて調整率を43%にすることで都区間の合意に至った。しかしながら、同年はオイルショックの影響を受け、不況が深刻化していた状況にあった。そのため、税収の伸びがみられず、当初の予算額を確保することはできなかった。そこで都区財政調整においては再調整で約八〇億円もの都の一般会計からの借入金や一〇〇億円の地方債の発行でしのがねばばらない状況となった。そして、これらの返済が数年間都区の財政を圧迫することとなった。