この時期は、基本構想・基本計画・実施計画といった基本方針を策定し、それに基づいて予算を策定するようになった画期である。背景として、港区は都心区として事業所や昼間人口が増大する一方夜間人口は二〇万人を切るなど減少し、「すべての区民が住みよい環境の中で人間らしく生活できるように、長期的視点に立って、総合的、計画的な行政運営を推進する」ことは大きな課題となっていた。昭和四八年に昭和六〇年代を目標とした望ましい港区の将来像を審議するために設置された「港区長期計画審議会」は翌年答申を出し、それに基づいて同五〇年四月に「港区基本構想(第一次)」が策定された。
基本構想が打ち出した基本的施策の大綱は、①生命と健康を守る環境の整備、②住民福祉の向上、③明るく豊かな人間性の形成、④地域経済の安定、⑤都市基盤の充実という五つの柱を持っていた。経済優先、都市化の進行、事業活動の合理化の中で、とかく失われがちな人間の価値を見直し、その基本的な諸権利を保障し、地域住民を本位とした住民のための行政を実現するため、いわゆる大都市問題として顕在化した区民の生活破壊の様々な現象を地域レベルで的確に把握し、区民福祉向上の立場から地域的な課題の解決の方策を示したものと理解できる。社会の関心が経済成長から公害の防止、自然環境の保全などに向かっていたことを反映したものといえる。