続いてこの間の東京二三区の経常収支比率の推移(表6-4-1-2*)である。先に述べたバブル期の税収増により、経常収支比率は昭和六二年度には60%を下回り、日経平均株価が最高値を付けた平成元年度は53・9%を記録した。この間他区も非常に低い数値で推移し、同年度は二三区平均で61・3%であり、70%を超える区は一つも存在しなかった。前項では半数以上の区が80%を超えていた年度もあり、この時期の景気の良さと順調に伸びる税収の推移が理解できる。
しかしながら、バブルの崩壊とともにこの数値は急激に上昇する。港区の数値は、平成四年度は65・6%と前年度から9・9%上昇し、その後72・5%、86・6%、88・3%、91・3%と跳ね上がる。同時期の二三区平均は71・0%、75・4%、80・3%、80・4%、83・2%であり、この数値と比較すると港区の危機の深刻さがうかがえる。この時期は景気の低迷期でありすべての区が経常収支比率を悪化させているが、平成八年度に90%を超えているのは港区だけであった。これらの数字および比較から、この財政危機がいかに深刻なものであったかが理解できる。
後述する財政構造改革は、このような状況の中で「待ったなし」で行われた。平成九年度から同一一年度には80%を維持し、その後、同一二年度以降は80%を下回るようになり安定を取り戻すが、この間は非常な努力が重ねられたのである。