港区は日本全体がバブル景気に踊り始める前夜、昭和五九年四月に内部組織として港区行財政総点検委員会を設置し行財政改善計画をまとめ、その上で同六〇年八月に「行財政改善基本方針」を策定するなど、非常に早い時期から財政規律の維持に腐心していた。都心区として大規模事業所が集中する反面、住宅地や商業地が減少し、人口も二〇万人を割り込み、最も多い時に比べて約七万人が減少するなどの状況は、二節で触れたとおり昭和三〇年代から続いていた。このような状況下で将来に向けた「まちづくり」の構想を描くべく、方針が策定された。
この方針の基本的な考え方として、①行財政の効率的な執行の推進とそれによる区民サービスの一層の向上、②区民サービスの総合化・体系化とそのための組織・機能の整備再編、③区民の意見尊重、区議会との連携を前提とした全庁的取組が示された。具体的には電算処理の推進、職員定数の適正化などを最重要事項と位置付け、検討課題として給与等の適正化、補助金の見直し、審議会等の整理統合、新たな区民要望に対応する組織整備、情報公開制度の確立と情報管理体制の整備を掲げた。