基準財政需要額の算定内容は、その時々の経済的、社会的、文化的諸条件や都区間の役割分担等の状況を考慮して、毎年度都区双方の検討と協議を経て合理的かつ妥当な水準で特別区の行政を行うことができるように変更させてきた。バブル経済もまた、この財政調整制度の運用とそれを背景にした都と特別区間の関係に大きな影響をもたらすものでもあった。
昭和六二年(一九八七)から平成二年(一九九〇)は税収が膨張し、財政調整における財源が著しく増加した。これを原資にまちづくり事業の積極的な展開をはじめ、需要拡大が図られた。しかしながら、平成元年、二年に行われた日銀の金融引き締めをきっかけにバブル経済が崩壊して急速に景気が悪くなっていくが、その前後に起債して建てられた公共施設の起債充当分の負担がその後の税収の落ち込みと共に重くのしかかってくるようになる。