その後、進駐軍に接収された施設等を全国的に見ると、農村部や事実上農業生産が行われていた飛行場や演習場、牧場などはそのまま農業用地として転用され、食糧の増産と自作農の増加に寄与することとなった。一方で、旧軍用地は行政機関の庁舎や公園・病院・教育施設および工場など、様々な用途に転用されることとなった。港区内の旧軍用地も戦後様々な用途に転用された。近衛歩兵第三連隊跡地(赤坂五丁目)は都営の共同住宅として使用されたのち、現在はTBS本社などが所在している。近衛歩兵第四連隊・第六連隊跡地(北青山二丁目周辺)は現在、都営霞ヶ丘アパート、國學院高等学校、東京都立青山高等学校などとして使用されている。歩兵第三連隊跡地(六本木七丁目)はハーディ・バラックスの一部返還後に東京都生産技術研究所としての使用を経て、現在は国立新美術館・政策研究大学院大学となっているが、未返還の部分は駐留米軍の赤坂プレスセンターとして使用されている。また表7-1-1のほか、旧芝区芝栄町(現在の芝公園三丁目)には海軍省の外郭団体として水交社があり、接収後は駐留米軍のサロンや宿舎として利用された。その後、昭和二五年に米軍関連の宗教法人に払い下げられた。都心部に大規模な土地面積が必要な機関や住宅に転用されることで、旧軍用地の活用が行われた。日本政府や企業・個人が所有していた施設・住宅の接収解除も進み、占領政策はほぼ終わりを告げた。 (中村 仁)
表7-1-1 東京都下における旧軍用地ならびに旧軍用建物調査(1948年9月現在)
「東京都下における旧軍用地並に旧軍用建物調査」(東京都総務局調査課、1948年9月、東京都公文書館所蔵)をもとに白石弘之が作成した表(『図説 港区の歴史』2020年)を転載