東京タワーの誕生―再開発が産む大型施設の時代

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昭和三〇年(一九五五)を過ぎても、新橋駅前の闇市から変貌したマーケットなどでは木造二階建ての建物が密集し、駅前はまだ雑然とした町並みであった。交通に便利な地ではあっても、それを生かすことは難しかった。昭和三三年の新橋駅前広場築造事業による広場建設や道路拡張を行うこととなったが、これは一方で立ち退きという大きな問題をはらむこととなった。これらは、昭和三六年の「公共施設の整備に関連する市街地の改造に関する法律」(旧市街地改造法)の制定により、公共施設の整備と高層ビル化により立ち退き先が確保され、同法の適用第一号として整備されることとなった。ただし、地主・家主(賃借権者)・店子(営業権者)の複雑な権利・義務関係を抱えており、立ち退き問題は後々まで尾を引くことになった。とはいえ、これを契機として高層ビル建設による再開発の口火が切られ、港区はもちろんのこと、東京全体が大きく都市化を進めることとなった。
昭和三三年一二月二三日には芝公園四丁目の紅葉館跡地に総合電波塔「東京タワー」が建設され、テレビ放送・FMラジオ放送に利用された。東京タワーは333mと当時世界一の高さを誇る電波塔であり、単なる電波塔としての機能にとどまらず、大展望を備える観光地として日本の名所としての役割も担った。東京タワーからは東京一円が眺望され、復興から成長へと変貌しつつある東京の姿をみることができた。このように、東京タワーは東京に大型施設が再び産まれるさきがけの一つとして、象徴的な存在であったといえる。この東京タワーの観光地としての機能は、昭和四二年に特別展望台、昭和五三年に水族館(平成三〇年まで)など拡充されていくこととなった。