やわらかな生活都心へ

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港区では、一九八〇年代からバブル経済期を挟んで生じた業務機能と住機能の需要バランスの変化が起こったことで人口が減少していった。こうした中、芝浦港南地域から具体的なまちづくりの動きが始まった。
昭和五八年(一九八三)九月、学識経験者で構成する「芝浦港南地域整備構想懇談会」を設け、芝浦港南地域整備構想策定に向け作業を開始した。そして、同五九年四月、まちづくりの専管組織として都市環境部を設置した。都市環境部は、建築部と環境部および企画部の一部を統合、五課のほか都市整備計画担当と都市整備調整室が置かれた。この室の所掌事務は「街づくりに係る企画・調査及び調整、土地利用構想等の調査及び研究、市街地整備に係る構想の策定、その他街づくりに関すること」であった。この組織は総合的なまちづくりのマネジメントを目指し、技術職員だけでなく企画・調整を行う事務系職員を組み入れた組織として発足した。
しかし、まちづくりへの取組は、順風満帆とはいえなかった。このことは昭和六一年版の都市環境部の事業概要に「街づくりの専管組織として発足した都市環境部は、各種の調査を実施しながら計画の立案、条例や要綱の制定など、区民が快適に定住できる街づくりに努めてきた。しかし、近年のオフィス床需要は住宅地にまでおよび、夜間人口の減少、地価の高騰などを誘発し、定住化を困難にしている。住み続けられる街づくりをいかに実現していくかが都市環境部に課せられた大きな役割となっている」とあり、危機感をあらわにしていることから推察できる。後にバブルとされる景気の過熱と不動産価格の高騰から生じる地上げにより、昭和六〇年頃から区の人口は急激に減少し始めた(図7-4-2-1)。そのため、まちづくりの目標も快適な住環境というより、とにかく人口減少を食い止める「定住まちづくり」にシフトしていくことになった。
こうした新たな視点からのまちづくり施策の展開が求められることとなり、歴史を持つ区内のそれぞれの現状と動向を把握し、まちづくりの課題と基本方針、施策の在り方を地区別に得るため、二か年にわたって調査を実施した。この調査結果は、『港区地区別特性調査報告書――やわらかな生活都心の提案』として、昭和六一年三月にまとめられた。この「やわらかな生活都心」の理念は、均質で無機的な効率優先の都心でなく、多様で高度な都心機能を持ちながら優れた居住環境と個性的な景観を備えた都心を目指すことであった。こうした考え方に沿って、定住人口を増やすために、民間企業の指導や誘導を図った。

図7-4-2-1 港区の人口の推移

各年1月1日現在。住民基本台帳から作成