基本構想を受けて、昭和五三年一月に策定した最初の基本計画では、都市基盤の整備の充実・土地利用の項目で、「芝浦・港南地区、竹芝・日の出地区、国鉄汐留地区、古川流域、運河地区等については、その地域の特性に配慮して重点的な整備が必要とされる」と述べ、さらに「芝浦・港南地区は工場移転が見込まれるので、その跡地に公営住宅利用を図る。また、港南地区の土地利用の推進にあたり国鉄による地域の分断を配慮しなければならない」としている。この地域の分断については、品川駅東西自由通路の必要性を示唆しているものと考えられる。基本計画における土地利用の施策の体系の「特定地区の整備」という項目をみると、「芝浦・港南地区の整備」「竹芝・日の出ふ頭の整備」「運河の埋立」「国鉄汐留駅周辺の整備」「東京港一三号地埋立地の整備」と実に六項目のうち、五項目が芝浦港南地区に関するもので、それ以外は「古川流域の整備」だけであった。
昭和五六年一二月に改訂された港区基本計画では、土地利用の現状と課題について、「区の自治権拡充の中で都市基盤の整備に係る権限は拡大の方向にあり、今後、区の果たすべき役割と責任は増大するものと考えられる」という観点が示された。こうした観点のもとで、芝浦港南地区の整備については、「定住人口の確保と居住環境の整備を推進するために当該地域の整備方針、開発ビジョンを明らかにする整備構想を策定する必要がある」とした。区内の他の地域に比べ効率的な土地利用が進んでいなかった広大な芝浦港南地域をどのように開発・整備していくのかは、区の大きな課題であり、区として重点的に取り組んだ。
まちづくりを進める際には、業務機能や商業機能に特化したまちを目指すのではなく、人が住み、安心して生活し、快適に暮らせるまちにすることを念頭に入れる必要がある。そのためには、地域住民の意思を尊重し、反映させる住民参加型のまちづくりへの転換が求められた。そこで区は、住民参加と合意によるまちづくり活動を促進するため、シンポジウムや講座を開催し、まちづくりへの関心と意識の高揚に努めるとともに、身近な問題について理解を深め、住民と一体となったまちづくりを目指した。
また、街づくり推進地区としての取組があった。街づくり推進地区とは、「急激な開発の進行による市街地環境の大きな変化が予想される地区、あるいは環境の改善の必要がある地区」と定義され、定住環境の計画的な整備を推進するため、積極的にまちに入り、区民のまちづくり活動を支援し、区民との協働によるまちづくりを進めていく地区である。
最初に、昭和六一年「モデル地区まちづくり推進地区」と位置付けた芝大門二丁目地区では、敷地を共同化して建て替え、有効利用することによって住み続ける手法を目途にまちづくりを進めた。地区内の一か所で、当時の建設省の補助事業であった優良再開発事業の適用を受け、平成五年度に共同化ビルが完成した。
次に、芝三丁目地区は、桜田通りと日比谷通りに挟まれた地区で道路沿いでは地上げによる空き地・空き家が目立ち、業務ビルの波が押し寄せていた。平成元年度の頃から街づくり推進地区として業務開発と共存できる都市型住宅による定住人口の確保回復とコミュニティの形成を目標としてまちづくりに取り組んだ。東南部については、街区高度利用型区画整理事業と再開発地区計画が適用され、高層マンション業務ビルおよび複合ビル三棟が竣工、平成一四年三月に開発事業が完了した。
旧三田小山町(三田一丁目西側)は、震災・戦災を免れ、古くからの街並みとコミュニティが残る一方、木造家屋が密集し、土地の細分化と家屋の老朽化が進み、防災や住環境の面で課題を抱えている地区だった。一方、地下鉄の新規開通や地価の上昇によりまちの変化が予想された。
区では昭和六一年度に地区計画策定調査を実施、土地利用動向やアンケートによる住民意識等の調査を行い、モデル地区計画(案)を作成した。翌六二年度にこの地区を街づくり推進地区と位置付け、住民の参加と合意を目指し、いつまでも住み続けられるまちを目標にニュースの発行や懇談会を開催した。その後、まちづくりの住民組織が発足し、区長に街づくり計画(案)が提案された。当初は地区計画制度の活用が検討されたが、徐々に大規模な再開発へと目標がシフトし、話し合いが重ねられた。地区ごとにデベロッパーも参加した。再開発事業に向けての都市計画手続きも進み、平成二一年五月に小山町東地区、翌年五月に三田小山町地区の二つの再開発事業による建築工事が相次いで完了した。残る三田小山町西地区の再開発事業は、先行した二つの事業を合わせたものをさらに上回る、施行面積約2・5ha、延床面積一八万平米以上(四棟)、住宅一四五〇戸の大規模な再開発事業である。令和九年(二〇二七)の竣工を予定しており、ここにほぼ四〇年かかった三田小山町地区のまちづくりは完成することになる。
最後に、白金一・三丁目は、町工場を中心に住・商・工が混在する人口密度の高い地域だった。土地利用は細分化され、街区内は狭あいな道路が多く、建て替えを困難にしていた。工場のマンションへの転換や地下鉄開通を見越した地上げも進み、放置するとコミュニティの崩壊、居住環境の悪化が予想された。昭和六三年度に基礎調査を実施、平成元年度に街づくり推進地区と位置付け、まちづくりの取組を始めた。一丁目の一部で企業による大規模な土地買収、底地買いが行われた。区は住民の意向の把握に努めながら、住み続けられるまちづくりの観点から企業を含む共同事業の呼びかけを行った。平成二年三月、街づくり勉強会が発足、翌年には地権者組織として白金一丁目東地区再開発研究会となり、同四年一月再開発準備組合に移行した。区は、地区整備ガイドライン、再開発基本計画、同事業推進計画調査等により事業の早期実現を支援した。平成一七年一一月、建築工事が完了し、東京メトロ南北線・都営三田線白金高輪駅と連結した住・商・工一体のまちが実現した。さらに、白金一丁目東部北地区での建築工事が令和四年一二月に完了し、白金一丁目西部中地区での再開発事業が平成三〇年七月に都市計画決定されている。
また、企業の旺盛な開発エネルギーを利用していくことも必要であった。主として再開発事業や大規模な跡地整備などへの対応である。開発地区だけでなく近隣の地域全体のまちづくりの方向に合致するよう誘導することが求められた。
概観すると、これらの取組は港区のまちづくりを進めていく大きな方向性を示すものであった。
昭和六二年、都市環境部の組織改正があり、都市整備調整室は廃止され、代わって四人の副参事(課長級職員)が新たに配置された。
その後、昭和六三年一〇月に策定された「港区街づくりマスタープラン」は、区のまちづくり行政推進の基本的な指針となるものである。その中で、土地利用誘致の方針図において、芝浦港南地区の中の汐留開発、古川河口南から重箱堀へのエリア、芝浦二~四丁目から港南三丁目へ広がるエリア、品川駅東口等を重点的な街づくり推進地区として明示している。後述する大街区や小山町、白金一丁目等も同様である。
また、同プランでは、地下鉄六号線(都営地下鉄三田線)の延伸(三田駅から目黒駅)、地下鉄七号線(東京メトロ南北線)と地下鉄一二号線(都営地下鉄大江戸線)の新設に伴って、主として区の中心部から山の手地域への交通の利便性が飛躍的に高まることを予想していた(図7-4-2-2。以下、この節でいう「山の手」とは、区内の主に住宅地を言い、「下町」とは商業業務、住商工混在地を言う。標高10mを境として大別している)。商業業務機能の立地が進む可能性があり、既存の住宅地の保全、あるいは住宅と商業業務施設の適切な棲み分けが必要と考えられた。区は、計画的開発の推進によって、質の高い共同住宅と都市活動施設との複合した港区の将来の資産となる新たな市街地を形成する土地利用を誘導した。具体的には、地域特性を踏まえつつ、港区全体として居住と事務所利用等の均衡のとれた土地利用の実現を目指し、建築物の床面積の増加分の相当割合を住宅としていくように誘導した。
図 7-4-2-2 南北線・三田線の開通路線概要図
「広報みなと」平成 12 年 9 月 1 日号から転載
平成三年(一九九一)には、昭和六〇年に策定した「大規模建築物等の建設計画の事前協議に関する指導要綱」の内容を拡充し、「港区開発事業に係る定住促進指導要綱」を施行した。この要綱の目的は、開発事業に対する適切な指導に関し、必要な事項を定めていることで、住宅の確保と良好な市街地環境の整備を図り、やわらかな生活都心を目指した住み続けられるまちの実現に寄与することであった。
この要綱では、開発事業者に対し、延べ面積が3000㎡以上の建築物に係る開発事業を行おうとする場合は、容積率に応じ、建築物の延べ面積の10%から30%以上に相当する住宅を付置するように努めなければならないとした。さらに、用途地域制を活用し、住宅地への無秩序な業務地化の進出を抑制した。こうした取組によって定住基盤を育てた。併せて、同要綱では定住協力金制度を規定した。区長は、延べ面積が5000㎡以上の建築物に係る開発事業のうち、国または地方公共団体から当該開発事業に関し補助を受けて行うもので、区長が定住促進に資すると認める開発事業を除いた事業について、開発事業者に対し、借上住宅等の定住支援事業または住環境整備事業に充てるための資金による協力を求めることができるというものであった。
東京都では、都市構造の一点集中型から多心型へと転換させるとともに、国際化・情報化時代の要請にも応えるため、近海部に未来型副都心を創出するため、昭和六二年六月の「臨海副都心開発基本構想」をはじめ、同六三年三月には「臨海副都心開発基本計画」、平成元年四月の「臨海副都心開発事業化計画」等の計画を策定した。平成三年の東京都議会での付帯決議を踏まえ、住宅供給、開発スケジュールおよび東京フロンティアの開催時期等の事項が再検討された。区では、臨海副都心台場地区の開発について、平成三年五月に「臨海副都心台場地区開発計画に関する基本的考え方」をまとめ、同年五月東京都に対し、居住機能の拡充、適切な公共公益施設の確保、財政負担に関する要望を行った。東京都では、区の要望を踏まえ、台場地区の実施計画の一部を変更し、開発を進めていった。