一九八〇年代、新橋から芝に至る低地部分は商業業務系の土地利用を主とし、職住一体となった住宅が複合した生き生きとした下町的市街地を形成している場所であった。
しかし、人口動態を見ると、一九九〇年代、この地域では人口減少が激しく、人口密度は1ha当たり四八人と低い状況であった。一方で、昼夜間人口の差が著しく、昼間人口は夜間人口の二二倍あった。また、商業・業務機能を中心としたゾーンであり、土地利用では、商業用途が大半であり、広域的な商業・娯楽・文化施設等の立地が見られ高容積率指定で充足度も高いという特徴があった。その結果、面的なまとまった住宅地は少なかった。
これらの特性を踏まえ、芝・新橋周辺については「定住再生ゾーン」と位置付け、商業・業務機能が中心となっている中で、街区単位での定住を目指した再開発等の推進、共同化、上部階居住や複合用途を許容した都市型住宅を確保して、職住隣接型の住宅の確保に努めた。
都市基盤については、日常生活ならびに区民交流の中心的地域において老人、障害者をはじめすべての歩行者の安全性と人間的ふれあいを高める人間優先の歩車道整備を行うとして、コミュニティ道路の整備を進めた。最も早く作られたコミュニティ道路として、昭和五七年(一九八二)に赤坂一ツ木通りと同じく、大門通り(第一期)、芝大神宮通りが整備された。
一九九〇年代には、概ね道路整備が進み、公共交通機関も充足していた。そこで、道路交通体系整備の方針として、港区の玄関口としてJR線新橋駅、浜松町駅の周辺整備を進め、駅を基点とするプロムナードづくりを進めることとした。環状第二号線については、地域コミュニティと定住性の確保に配慮して整理し、合わせて周辺のまちづくりとの整合も図ることとした。
景観については、個性と魅力を備えた商業・業務・娯楽・文化施設による街並み整備を図るとともに、下町的な職住近接型の活気ある街並みとの共存を目指すとした。環境については、この地域は低地に位置し、緑が少ないという特徴があった。そこで、芝公園、増上寺、愛宕山等の緑や歴史的な景観の保全・再生を図ることとした。