しかし、昭和五〇年以降は、港湾機能の再編成や都心業務機能の拡大などから倉庫や工場の移転、そして業務施設、共同住宅の建設が進み、一九八〇年代半ばを過ぎると、今後、住宅と商業業務施設が複合した新しい市街地として期待される場所となった。港区は、昭和六二年の組織改正により芝浦・港南地域整備担当を設置し、同年「芝浦港南地域整備基本計画」を策定した。この計画において、若者から高齢者、外国人に至るまでの様々な居住形態に対応できる住宅の供給を通じて、定住人口の確保を図るとともに、業務機能と住宅を主体とする複合市街地を形成することを目指した。同年、「特定住宅市街地総合整備促進事業整備計画」が建設大臣に承認され、住宅等の建設および公共施設の整備等を総合的に行うことを目的とした特定住宅市街地総合整備促進事業の一環として芝浦アイランドの整備が始まった。
一九九〇年代には、港区は定住人口を確保するため、今後の土地利用の変化動向を的確に捉え、「定住開発ゾーン」として位置付け、新たに複合的な市街地の形成を促進した。国公有地の土地利用転換の際、用途別容積型地区計画の適用や大規模開発の計画的な誘導を図り、新しい商業・業務機能や文化機能と都市型住宅を誘導することとした。また、土地利用転換や大規模開発に伴って積極的にファミリー層や都市活動層を中心に、多様な質の高い都市型住宅を確保するとともに、付置住宅や定住を支える生活関連施設の立地を誘導した。
また、道路・交通については、一九九〇年代は環状第四号線などの未整備路線があり、JR線によって内陸部と分断されていることや公共交通機関が不足しているという特徴があった。そこで、これを改善するため、補助幹線道路の整備を促進し、幹線道路の整備については関係機関へ要請することとした。さらにJR線駅周辺を中心にして東西を連絡する道路等の整備を進め、港区の玄関口および東京湾への玄関口として、JR四駅の東側の駅周辺整備の促進を図ることとした。このような取組の中、平成八年に品川駅東西自由通路の工事が開始された(図 7-4-3-1。同一〇年暫定開通、同一五年本開通)。また、平成八年にはお台場で街開きが行われ、この新しい市街地と新橋をつなぐ新交通システムゆりかもめが同七年に開通したが、その他、ミニバス、水上バス等の新たな交通システムの導入を要請することとした。
図 7-4-3-1 品川駅構内東西自由通路新設工事の計画平面図
品川駅構内東西自由通路新設工事パンフレットから転載
自然環境については、埋立地かつ低地であり、東京湾に面し運河も多いが緑地は少ないという特徴があった。そこで、開発などの機会を捉えて、公園・緑地・広場等の創出に努めることとした。ウォーターフロントの魅力と立地を生かした街並み形成を進める中で、運河やオープンスペース等には、水辺空間との関係や景観に配慮した緑化推進を図った。その後、平成八年には、お台場レインボー公園が開設された。また、竹芝から芝浦への埠頭部分や田町―レインボーブリッジ(図7-4-3-2)―台場へとつながる水の軸と拠点を踏まえた重点的な街並み形成を進めた。 (三田妃路佳)
図 7-4-3-2 レインボーブリッジ(平成15年)