赤坂・青山地区

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赤坂・青山周辺は、外堀通りや青山通りなどの幹線道路沿いの外資系企業や最先端の文化や情報を発信する店舗・事務所等が集積する商業・業務地と、街区内部の落ち着いた環境に低層住宅や店舗が共存する住宅地に大別されるように発展した。
そこで、地域特性に応じて、幹線道路沿道については、多様な集客機能および業務機能の集積をさらに促進し、他方で街区内部についは、落ち着きのある街並みを保全し、居住環境と商業業務機能が調和した土地利用を目指した。
また、令和二年開催予定(実際には新型コロナウイルス感染症拡大により翌年開催)の東京二〇二〇オリンピック・パラリンピックに向け、外苑前駅周辺は、同オリンピックのメインスタジアム(新国立競技場)への港区側の玄関口となるため、豊かな緑とスポーツを身近に楽しめる環境の整備が進められた。また、オリンピックに向け、青山通りや赤坂駅周辺を中心とした連続的で面的なバリアフリー化や自転車走行空間の整備を推進し、安全で快適な歩行空間の形成を図ることとした。
【赤坂周辺】 赤坂周辺には、培われた地区固有の歴史・文化が残っており、多くの坂があることから、地形的な面からも特色の感じられる街並みが形成されていた。加えて、東京を代表する業務・商業地であり、多くの人でにぎわっている地区でもあった。また、アメリカ大使館やカナダ大使館が立地し、外国人の往来も多い地区でもあった。また、赤坂見附駅周辺や外堀通り、青山通りなどの主要な幹線道路沿道では、外資系企業や最先端の文化や情報を発信する店舗・事務所等が立ち並ぶ商業・業務地となっていた。そのため、固有の歴史・文化を次世代に継承しつつ、多くの人でにぎわい国際化にも対応できる新たな魅力を創出していく必要があった。
また、この地域では、この時期様々な再開発が行われた。赤坂・六本木地区(アークヒルズ)の再開発が一九八〇年代に行われたが、再開発の中心は九〇年代後半から二〇〇〇年代初めであった。平成一八年七月には赤坂四丁目薬研(やげん)坂北地区(赤坂ガーデンシティ)、同二二年一二月には赤坂四丁目薬研坂南地区(パークコート赤坂ザタワー)、令和元年八月には赤坂九丁目北地区(パークコート赤坂檜町ザタワー)、同年一〇月には赤坂一丁目地区(赤坂インターシティAIR)が完成した。
また、戦後に日本へ返還され、当時の防衛庁檜町庁舎となっていた防衛庁本庁は平成一二年、檜町から市ヶ谷に移転した。防衛庁跡地は、平成一三年から「赤坂九丁目地区再開発地区計画」として都市計画決定され開発が始まり、同一九年には東京ミッドタウンが完成した(図7-5-2-3)。
こうしたまちの更新に合わせて、平成一九年のまちづくりマスタープランなどに沿って、魅力ある街並みづくりが進められた。例えば、防衛庁跡地の赤坂九丁目開発(東京ミッドタウン)や、赤坂五丁目(TBS)開発などの大規模開発で整備された施設は、都市型観光資源として、にぎわいづくりに活用された。また、赤坂周辺の見通しの悪い、入り組んだ道路など複雑な地形を有する場所においては、開発事業等に合わせ、歩道の整備など快適な歩行空間の充実や街区内での円滑な交通機能の向上を促進した。
また、赤坂周辺には、赤坂氷川神社や外濠などの江戸時代をしのぶことができる場所や、明治以降に華やかさを見せた黒塀の料亭街の名残りや迎賓館など、歴史を感じられる資源や趣ある景観があった。そこで、培われた景観の継承と魅力ある景観づくりとして、これらを保全するだけでなく、新たな景観を創出し、歴史・文化的資源として活用することとした。また、この地域には、桜田通り、六本木通り、外苑東通り、外堀通りなどに囲まれた六本木・虎ノ門区域のなかで、高台の尾根を通る道路(通称「尾根道」)沿道に大使館や博物館等の文化施設が立ち並ぶ良好な都市景観があった。そこで、地域特性に応じた景観の保全と創出として、こうした都市風景の保全向上を図った。さらに、迎賓館、国会議事堂の周辺は首都東京を象徴するランドマークであり、風格ある景観の創出を推進した。
この地域は、赤坂御用地や青山霊園等のまとまった緑や公園・寺社等の緑地があることから、緑が豊富な地域であり、港区のなかでも最も緑被率が高く、周辺には、赤坂御用地、乃木公園、檜町公園、高橋是清翁記念公園、氷川公園といった緑地空間が点在した。そこで緑と水、環境に配慮したまちづくりとして、これらのネットワーク化を図るとともに、自然と文化、歴史を生かした公園づくりを進めた。また大規模開発の際には緑の保全と創出のために緑化基準を強化することとした。
国際化・観光・文化について、赤坂地域では、地域に残された史跡等の保全、江戸時代から続く赤坂氷川神社の例大祭や勝海舟ゆかりの地、外濠など、地域の豊かな歴史・文化資源や自然があった。こうした歴史の華やかな界わいの風情を感じられる街並みを維持・保全し、観光地としての魅力や価値の向上を図ることとした。また、東京ミッドタウンや赤坂サカスなどの都市型観光資源があり、国内外から多くの人が訪れる魅力ある街の形成を目指した。

図7-5-2-3 昭和54年当時の防衛庁本庁(左)と現在の東京ミッドタウン(右)

左は国土地理院ウェブサイト(https://www.gsi.go.jp/)から転載。右は提供:東京ミッドタウンマネジメント株式会社


【青山周辺】 青山周辺は、青山霊園周辺や街区内部に広がる落ち着いた環境に低層住宅や店舗が共存する住宅地となっていた。
青山通り沿道を中心にして、明治神宮聖徳記念絵画館へ向かう風格のある景観を作り出すいちょう並木(図7-5-2-4)の保全や、最先端の文化や情報を発信する商業・業務機能を生かした気品とにぎわいのある魅力的なまちづくりが望まれた。
また、北青山三丁目では老朽化した都営住宅の建て替えを契機に、民間活力も利用し、地域住民や来街者が憩える開放的なオープンスペースが整備された。
緑や水については、青山霊園・青山公園など緑の拠点を形成する場所において、地域の歴史や文化と一体となった風格ある豊かな緑の保全を図った。
国際化・観光・文化について、青山地域では、アート関連施設やハイセンスなファッションブランドなどの個性的で先進的な店舗、IT関連企業等が数多く立地し、多様に洗練されたにぎわい・文化交流施設が集積する特徴があり、こうした先進的な雰囲気を生かし、新たな観光資源の発掘と地区のブランド化の強化を推進している。

図 7-5-2-4 明治神宮外苑のいちょう並木(平成26年)