高輪地区

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二〇〇〇年代、この地域は港区内でも人口と居住世帯数の最も多い地区となった。言い換えると、昼夜間人口比率は低く、住宅地としての特性が強い地域となり、白金や高輪一~二丁目などでは古くから続く商店などが共存していた。また、白金地域は高齢者人口が高い地域であるため、地域の実情に応じた移動利便性の向上や今後予定される開発事業等を契機とした生活環境の向上等が期待されていた。
【白金、白金台(四~五丁目)周辺】 白金地域は、国立自然教育園など大規模な緑地空間があり、緑豊かな住宅地を形成している。その特性を維持するために、民有地を含む緑地空間の保全と活用を行う必要があった。白金地域北部では、ものづくり産業と居住環境とが調和した土地利用の誘導を行った。白金五丁目においては、地域に密着した既存の都市型産業の立地と住宅が共存できる土地利用の誘導を図った。
また、白金地域や白金台地域は、木造建築物や細街路が多いことから、災害発生時に緊急車両の動線の確保や延焼、建築物倒壊などによる被害が懸念された。不燃化の進んでいない場所や都市型水害が懸念されているところも残っていた。そこで、防災に関しては、白金地区の北部など細街路の多い地域では、拡幅整備等により市街地の安全性向上を図った。また、地震発生時の建築物倒壊による被害や道路閉塞を防止するため耐震化を促進した。さらに、古川沿い一帯の液状化の可能性のある地点が含まれる地域では、液状化リスクの周知を徹底するとともに、設計段階において詳細な地盤調査を行い適切な液状化対策を講じることとした。
景観づくりとして、外苑西通りの並木道など良好な街路景観を生かす街並みを形成させるとともに、古くからの価値ある建築物を生かし、地域の歴史、記憶が継承される街並みの形成を目指した。このほか、古川や斜面緑地など地形の特徴や資源を生かした景観の保全・創出を図ることとした。
環境については、国立自然教育園周辺における大規模で歴史的なゆかりのある連続した緑の保全を図るとともに、道路・公園の街路樹や植栽帯の整備を推進した。この地域の北側には古川があるが、水質や高速道路に覆われた空間上の問題などから、憩いの場として充分に活用されていない面もあった。そこで、古川沿いでは水質改善や生き物の生息に配慮した護岸整備を推進するとともに、古川の再生整備に合わせて、水辺に触れあえる環境の形成を目指した。
国際化・観光・文化については、旧国立公衆衛生院のリノベーションにより港区立郷土歴史館を整備し、港区の多彩な自然・歴史・文化の次世代への継承と情報発信を推進した(図7-5-2-6)。

図7-5-2-6 港区立郷土歴史館


【三田(四~五丁目)、高輪、白金台(一~三丁目)周辺】 この地域は、多くの坂や泉岳寺、三田の寺町など固有の歴史的文化的資源が存在する。三田四丁目は寺院が密集し、かつては「三田寺町」と呼ばれた(図7-5-2-7)。この一帯は戦災の被害が少なく、江戸時代以降の木造寺院が多く残った。

図7-5-2-7 幽霊坂(三田4丁目)の中腹にある玉鳳寺(正面)と仙翁寺(左)


品川駅周辺のホテル群や第一京浜国道沿いなどの業務・商業地が形成されており、それらを支え、品川駅周辺の交通拠点としての将来性に備えた都市基盤が不十分な面もあった。
二〇〇〇年代になると、国は「都市再生特別措置法」を制定し、都市再生緊急整備地域を定めた。港区に関連した地域では、東京都心・臨海地域、品川駅・田町駅周辺地域が指定された。また、東京都は平成二六年、本格的に国際化が進む羽田空港と近接していること、東京二〇二〇オリンピック・パラリンピックの開催が予定されていること、リニア中央新幹線の開通が予定されていることを背景に「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン二〇一四」を策定し、その中で拠点性を高める道路ネットワークの一つとして、環状第四号線を整備・延伸することを示した。延伸区間は、図7-5-2-8のように、白金台三丁目から港南一丁目までとなる。こうした動きを踏まえ、港区は平成三〇年に「三田・高輪地区まちづくりガイドライン」を策定した。その後、令和二年に「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン二〇二〇」が改定されている。
港区では、平成一九年のまちづくりマスタープランに沿って、都市計画道路の整備に合わせた土地利用を目指した。前述の環状第四号線の整備にあたり、道路沿道と後背地が調和した土地利用の誘導を図るとともに、後背地の良好な環境を保全することとした。道路については、環状第四号線の整備および第一京浜(放射第一九号線)の拡幅と品川駅高輪口における駅前広場の整備を促進した。さらに、白金高輪駅および泉岳寺駅とその周辺を含めた公共交通の利用時の利便性の向上を含め、道路整備や公共交通の充実による交通バリアフリーの推進など多様な手段の活用により、地域間移動の利便性の向上を図ることとした。
景観や緑の保全・創出に関しては、泉岳寺や瑞聖寺等の文化財建造物をはじめとした古くからの価値ある建造物の集積や、地区の特徴である坂道の景観を生かし、地域の歴史、記憶が継承される街並みの形成を目指した。また台地上などの良好な住宅地については、寺社や緑と落ち着きある連なった街並みを保全し、プラチナ通り周辺においては、四季の彩りのある街路樹と洗練された商業施設や住宅とが調和した上質な街並みの形成を目指した。また、緑の保全と創出のために、旧高松宮邸を中心とした一帯や高輪プリンスホテル周辺などの民有地内の緑を生かしながら公共空間の緑化を推進し、緑の軸の形成を図ることとした。また、高輪三丁目において既存の緑を活用した街区公園等の整備を推進した。
国際化・観光・文化については、寺社など歴史文化資源の観光資源としての魅力の向上を図るため、周辺の道路や公園、街並みにおいては、歴史的文化的な雰囲気の継承に配慮した環境整備を推進した。
その後、環状第四号線の延伸については、令和元年七月に東京都は、国土交通省から都市計画事業の認可を取得し、事業を開始した。

図7-5-2-8 環状第4号線全体図(上)と拡大図(下)

「東京都市計画道路幹線街路 環状第4号線及びその延伸部――環境現況調査について」(東京都、2015)から転載


【品川駅、高輪ゲートウェイ駅周辺】 品川駅周辺は、令和二年にJR新駅として高輪ゲートウェイ駅が開業した。今後、リニア中央新幹線の開通も見込まれている。
高輪ゲートウェイ駅周辺の開発については、JR東日本が「品川開発プロジェクト」に取り組んでおり、このプロジェクトに関わる品川駅北周辺地区の都市計画が平成三一年四月一一日の東京圏国家戦略特別区域会議および同年四月一七日の国家戦略特別区域諮問会議を経て、内閣総理大臣による認定(都市計画決定)を受けた。品川開発プロジェクト一期(高輪ゲートウェイ駅周辺再開発)は、泉岳寺駅の東側一帯に広がる、JR品川車両基地の跡地を利用して進められている。
また、この地域の土地利用については、平成二九年のまちづくりマスタープランに沿って、大規模な開発事業等が連携し、成長する世界の企業に挑戦する日本の企業を集積させ、日本と世界とをつなぐビジネスセンターや、多様な人材の集まる新たな国際交流拠点の形成といった、業務や商業・交流・宿泊・観光・居住等の都市機能の集積を進めている。また、品川駅および高輪ゲートウェイ駅周辺をはじめとする開発事業等を契機に、周辺と一体となった地域の魅力・価値の向上を図るためのエリアマネジメント活動も推進することとした。
公共交通ネットワークの整備については、広域交通の拠点となる品川駅、都心への交通機能を担う高輪ゲートウェイ駅、都心を経由して羽田・成田両空港への交通機能を担う泉岳寺駅とが、相乗効果を発揮する交通結節拠点となるよう、周辺の基盤整備と、それに合わせた道路交通の円滑化を図ることとした。
また、京急線品川駅の地平化および輸送力の向上を図り、品川駅の複雑な乗り換え動線の解消や移動距離の短縮など乗り継ぎ利便性の向上、歩行者ネットワークの強化を進めている。
広域交通拠点となる品川駅および高輪ゲートウェイ駅や泉岳寺駅の周辺においては、地上・地下・デッキレベルでの立体的な歩行空間を形成し、開発事業等により導入される国際水準の業務・商業・文化・交流・居住機能や周辺施設などとの連絡性を強化することにより、地域の回遊性を向上させ、快適で楽しく歩ける環境の整備を進めている(図7-5-2-9)。
環境・景観については、品川駅および高輪ゲートウェイ駅周辺では、国際交流拠点にふさわしい環境都市を形成するため、開発事業等の機会を捉え、緑陰空間が連続したプロムナードの形成や、緑豊かなオープンスペースの整備、積極的な屋上緑化や壁面緑化を行い、緑を増やすこととした。また、東京の南の玄関口として、風格とにぎわいを備えた魅力的な景観となるようにするとともに、地域の持つ歴史的な特徴を生かした街並みにするため、周辺市街地との調和に配慮した。
国際化・観光・文化については、品川駅および高輪ゲートウェイ駅や田町駅を拠点とし、運河沿いの水辺や夜景を資源として、歩いて楽しめるルートや、コミュニティバスおよび自転車シェアリングを用いた周遊・回遊を楽しめるネットワークの形成を目指した。
なお、高輪ゲートウェイ駅付近においては、令和二年八月、明治初期に鉄道を敷設するため海上に構築された「高輪築堤」が出土した。歴史的に極めて重要かつ貴重な文化遺産であり、港区教育委員会はその保存とまちづくり等への活用を事業者に強く求めている。

図7-5-2-9 都市再生特別地区(品川駅北周辺地区)都市計画と港区との位置関係

「都市再生特別地区(品川駅北周辺地区)都市計画(素案)の概要」(東日本旅客鉄道株式会社、2018)から転載