芝浦港南地区

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この地域は、明治から昭和にかけて段階的に埋め立てられ、まちの歴史は比較的浅く港湾流通機能を中心として都市の発展を支えてきた地区であった。開発が進み、二〇〇〇年代以降、この地域の人口は急激に増加した(図7-5-2-10)。

図7-5-2-10 地区別人口の推移

各年1月1日時点。住民基本台帳から作成


二〇〇〇年代に芝浦港南地区の人口に影響を与えた出来事として、平成一九年の芝浦アイランドの街開きがある。芝浦アイランドは、平成九年に国が都市計画法および建築基準法の一部を改正し、高層住居誘導地区制度としたことが契機となり、同一一年に東京都が港区芝浦四丁目地区を高層住居誘導地区に指定したことで建設された。高層住居誘導地区制度とは、高層住宅の建設を誘導すべき地区を都市計画に位置付け、容積率制限、斜線制限を緩和、日影規制を適用除外するというものである。また、平成一五年には東海道新幹線が品川駅に停車するようになった。同年には、JR田町駅の東西自由通路が開通した。
こうした変化を受け、港区として、生活基盤の整備やコミュニティの形成をさらに進める必要があった。港区は、平成一九年のまちづくりマスタープランに基づいて、大規模開発等による人口の増加を踏まえて、質の高い居住環境を維持・創出するために、生活利便施設や医療福祉施設、学校や地域コミュニティ施設などの充実を図った。
大規模敷地の土地利用転換としては、田町駅東口周辺において、駅前広場の充実や歩行者ネットワークの充実など地域の活性化に資する計画的なまちづくりを進めた。また、港南四丁目に取得した国有地では、関係機関との調整を行い、都市計画道路の整備や土地利用転換に合わせて公共公益施設の整備を進めた。さらに、都市の物流などを支える港湾機能の維持・向上として、日の出埠頭では港湾機能を維持しつつ、文化・レクリエーションも楽しめる商業・業務・都市型住宅機能を誘導した。
その後も、工業用地から住宅・商業用地への土地利用転換が進んだことなどを背景として、芝浦港南地区の人口は子育て世帯を中心に平成二八年には同一八年に比べ二倍強増加した。こうした人口の急増に対応するため、開発事業等における生活基盤を支える施設の整備や地域コミュニティの活性化などを通じて、安全•安心で暮らしやすいまちづくりを推進した。
そこで港区は、平成二九年のまちづくりマスタープランをもとに、高層住宅を中心とした商業業務など多様な機能が共存する市街地では、住宅を中心として店舗やオフィスなどの多様な用途の調和を図ることとした。また、人口増加に対応した公共公益施設および生活基盤を支える施設等も整備した。加えて、既存施設のリノベーションなど様々な手法により、港湾機能と新しい商業・文化・交流機能の共存を推進した。
道路・交通については、芝浦港南地区は、埋立造成により生まれた土地が大半であることから、広幅員の道路が整備され街区が整形化された地域が多く、交通環境は比較的良好であり、電線類地中化の取組が区内で最も進んでいた。しかし、他の地域と芝浦港南地区とはJR線の鉄道施設により分断されていたため、JR線東西方向や芝浦港南地区から山手線内および台場地域に向けたアクセス性については、課題となっていた。
そこで港区では、他の地区との連携を強化するために、東京都等の関係機関と調整を図りながら、周辺の居住環境に配慮し、快適に移動できるように道路ネットワークの早期形成を図った。公共交通ネットワークの整備と交通結節点の利便性を向上させるために、広域的な交通結節拠点となる品川駅周辺では、高輪ゲートウェイ駅整備と合わせ、周辺の基盤整備とそれに併せた道路交通の円滑化を目指した。また、新たに改札が整備される品川駅北口については、広域交通を担う交通結節機能を配置し、駅前広場の整備を促進することとした。さらに、田町駅とその周辺を含めた公共交通の利用時や乗り継ぎ時の利便性の向上を図った。また、JR線東西方向や芝浦港南地区から山手線内へのアクセスを向上させるため、環状第四号線や第二東西連絡道路、高輪ゲートウェイ駅東側連絡通路の整備を推進し、道路ネットワークの整備と交通の円滑化を図った。
加えて、舟運を活性化し、身近な観光交通手段として定着させていくため、防災船着場を小型船の乗降場所として試験的に開放するなどにより、駅のアクセスが便利な船着場を増やしていった。また、台場の日常生活を支える交通手段として地域特性に応じた地域交通の充実を図ることとした。
このほか、快適に楽しい歩行空間の整備として、耐震護岸の整備改修に合わせて運河沿いの遊歩道の連続化を進め、歩行者ネットワークの構築を図るとともに、品川駅および高輪ゲートウェイ駅を起点として周辺のまちの回遊性向上を推進した。
景観については、護岸係留施設の改善・整備や芝浦南ふ頭公園など海が見える海上公園の整備などにより、水辺に近い地域特性を生かした良好な景観形成を促進した。お台場地域では、第三台場および第六台場など歴史的景観資源とランドマークであるレインボーブリッジ、現代的な業務・商業施設が融合した印象的な景観を維持した。
環境については、運河沿いや海辺では、水質改善を図るとともに、生き物の生息に配慮した護岸整備を推進するために、開発事業等の機会を捉えて、親水性の向上や水辺空間の連続化を図り水のネットワークを形成することとした。特に、東京二〇二〇オリンピック・パラリンピックを契機に、国や東京都、地域の大学をはじめとした関係団体と連携し、「泳げる海お台場」を目指して水辺の環境整備を推進した。また、水の拠点である高浜公園や芝浦南ふ頭公園とその周辺では、水辺を生かした憩いの場となるよう整備・活用を推進するなど、海辺と運河のあるウォーターフロントの立地を生かし、都市の基盤となる緑と水のネットワークの形成、親水性のある水辺空間や自然との触れ合いの場を創出することとした。
国際化・観光・文化については、東京二〇二〇オリンピック・パラリンピック開催に向け、観光客の増加に向けた受け入れ環境の充実や観光地としての魅力向上が求められていた。そこで、台場地域では、水と緑、海越しに臨む都心の風景やレインボーブリッジなどの東京を代表する景観の商業施設等が醸し出す華やかな雰囲気、それらの中にある歴史をしのばせる台場などの資源を有効に活用した。さらに、水辺を活用した更なるにぎわいの拠点を創出するため、レインボーブリッジや運河を活用したイベントの開催や船着場や橋のライトアップなどを進めることで運河の魅力を向上させた。また、芝浦一丁目では、開発事業に伴い、舟運や水上利用の活性化を図ることで、水辺のにぎわい拠点を創出するとともに、周辺の歴史・文化資源の雰囲気を継承した環境を整備することとした。加えて、芝浦港南地区は、明治時代の埋立造成によって形成されたことから江戸時代に漁場であった記憶や幕末以降の日本の近代化を支えた運河の歴史を持つ。旧協働会館は文化財として保存し、歴史と文化の継承や地域活動拠点として整備した。  (三田妃路佳)